日本のアナウンサー 様々なアナウンサー

日本のアナウンサー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/27 04:21 UTC 版)

様々なアナウンサー

スポーツアナウンサー

該当者はCategory:スポーツアナウンサーを参照。スポーツ中継の実況担当は男性アナウンサーが務めることが圧倒的に多い。

中立且つ冷静な放送が求められるアナウンス職にあって、自らの興奮や感動をストレートに表現することが許される分野で、野球のホームランシーンなどを大声で伝える「絶叫型」アナウンスがある。しかし、これを良しとしない意見もあり、視聴者・聴取者(リスナー)の好みによる所が大きい。また、世相や試合状況にアナウンサーが応えられるかにもよる。

1936年のベルリンオリンピックで、水泳女子の前畑秀子が金メダルを獲得した際、ラジオ中継を担当していた河西三省は、激しいデッドヒートを受けて「前畑頑張れ!前畑頑張れ!」と38回連呼し、日本中に感動と興奮を伝えた。

一方で、2000年9月14日のシドニーオリンピック、サッカー日本代表の試合で得点の際「ゴール!」を20回以上(最大29回)叫んだ日本テレビの船越雅史(現在はアナウンス職から離脱)の実況には多くの批判・抗議が寄せられた。

ご当地アナウンサー

そもそも使用例が少ないが、特に三大都市圏以外の道県において、放送局の放送圏域内で生まれ育って、同局でアナウンサーとして活動する者を指す(ただし、単に「地元の放送局所属のアナウンサー」という使用例もある[11])。

NHKは全国組織であるため、基本的に一定年数同じ地域に勤務した場合は、他の地域へ転勤となる。このため、出身地で勤務できる可能性はそれほど高くない。しかし逆に地元勤務となった場合は、そのことを最大限に利用して地域社会に貢献することができる。近年各放送局の役割再強化を図っているNHKに於いては、ご当地アナウンサーは重要な戦力となる。

富山では、山田重光が福岡を一旦離れてUターンして以降、アナウンスを統括する放送部副部長が3代続けて地元富山県出身者となっている。隣の新潟では、2009年8月の時点で6人いるアナウンサーの半分が地元新潟県出身者だった(後に転勤で1人出て2人に)。拠点局ではない一般放送局でこうした事例はまれである。山形県では、柴田徹がUターン後、山形弁でふるさとを語るバラエティ番組『今夜はなまらナイト』を立ち上げ、今や全国にファンを有する。拠点局でも、名古屋は単身赴任者を含め愛知県出身者が多く在籍している。

民放はNHKと異なり、特定地域だけをエリアとする。「キー局」と呼ばれる在京局も、本来は東京都または関東のローカル局であり、NHK以上に地域に根差した活動を行っている。

民放の中には、法令改正で差別的雇用が禁じられるまで、アナウンサーの採用にあたって、その放送局が所在する都道府県の出身者に限るという条件を付ける場合があった。

サガテレビでは、少なくとも1990年代までは正社員としてのアナウンサー採用を佐賀県出身者に限っていた。県外出身者については、あくまでもニュース番組のアシスタントとしての扱いだった。現在は特に女性アナウンサーを契約職採用中心に切り替えたため、こうした制限はなくなった。正社員アナウンサーは公式サイトに全員入社年が記されており、2010年に花田百合奈が初の県外出身正社員アナウンサーとして入るまで全員が佐賀県出身者だった。

テレビ大分では、現在でもアナウンサーの採用を大分県出身者に限っている模様である。しかし、小笠原正典アナウンサーと、田辺智彦アナウンサーは、県外生まれである。そのため、アナウンサープロフィールの出生地が、その他のアナウンサーと違う。

女子アナウンサーとその背景

女子アナウンサーは、通称「女子アナ」として、その「タレント化」が顕著であるとされる者を特に指し、揶揄的に用いられる場合がある。特に民放、中でも東京キー局では「タレント化」の傾向が極めて著しい。

1980年代後半以降に採用された女子アナウンサーの大半が、俗に言う「ブランド大学」(東京六大学関関同立など)の出身であり、またミス・コンテストの準グランプリやミスキャンパスに選出された経歴を持つ者も少なくない。また、業務上必要なアナウンス技術よりも、容姿を優先したり、誤読やトチリなど本来は許されないはずのミスを視聴率獲得のため珍重した結果、芸能人さながらの扱いを受ける例が多いと見る向きもある。さらに2000年代以降は平井理央紺野あさ美宮澤智斎藤ちはる市來玲奈など元アイドルが女子アナとなる事例が見られる。

「下手な芸能人を使うより、自局の女子アナを起用した方が視聴者受けがよく、しかも安価」と彼女らを「商品化」するのは、「とにかく視聴率ありき」という商業主義の民放テレビ局の姿勢も大きいと見られる。また、女子アナにコスプレをさせることも多い。

その結果、キャリアを積み、「読みの技術」が高まった中堅アナウンサーを、「若い方が良い」、「バラエティ番組で使いづらい」との理由で冷遇する傾向があり、これは「女子アナ30歳定年(限界)説」なる言葉をも生んでいる。ただ、NHKでは女性であっても入局後数年間は東京・渋谷以外の地方局に配属してアナウンサーとしての技量を磨きキャリアを積ませるという方針があり、「若さ」や「鮮度」よりもアナウンサーという「職業」として求められる技量を重視する傾向が強いので、民放とは全く事情が異なる。そのため、NHKでは逆に30歳を過ぎた中堅局員(和久田麻由子局員など)が重用される例が多い。

民放では「売れっ子」女子アナウンサーはその多くが20歳代で、30歳前後の年齢を一つの転機と見るのは一般的なOLと同じである。さらに「見られる職業」の最たるものであるため、その「鮮度」が露骨に求められ、30歳頃までに人気や実力を確立できなかった者は、容赦なく裏方に配置替えされ、次々に姿を消していく。「女子アナ30歳定年(限界)説」はこういった事象を背景にしており、女子アナウンサー本人がこれに言及している例もある[12]フジテレビジョンは1969年まで、女子社員にのみ25歳定年制を敷いていた[13]

女子アナは男性プロデューサーやバラエティ番組で共演する男性タレントからセクシャルハラスメントを受けることが多くあるほか、局の幹部から接待の相手役に繰り出されることも多いとされる。これらの行為にも女子アナは番組キャスティング権を持つ重役からの命令であるため、否定できないという。女子アナがフリー転身を決断する背景にはこの風潮も一因であるとの見方もある[14]

女子アナウンサーの系譜

かつて(1980年頃まで)女性アナウンサーの担当する分野は、料理育児手芸をテーマとする番組や、インタビューの聞き手などが主だった。ニュース番組に起用された場合でも、あくまで男性アナウンサーのアシスタントという位置付けであった。

今日のようにタレント並みに注目を浴びる女子アナウンサーにつながる系譜は、1975年フジテレビに入社し、同局初の女性キャスターとなった後、女子アナウンサー史上初のスキャンダルを起こした[15]田丸美寿々[16][17][18]1978年NHKに入局し「TVガイド」の表紙を飾ったり、民放への大型移籍や玉の輿婚が話題になった頼近美津子らを端緒とする見方や[17][18][注 8][19]、1980年代前半のフジテレビアナウンサーによる当時は異例だった「コント色の強いバラエティ番組への参加」からなど、いくつかの見方がある[20]1977年入社の益田由美は、なるほど!ザ・ワールドで体を張ったリポートで、「ひょうきん由美」と呼ばれ親しまれた。1980年入社の山村美智子1984年入社の寺田理恵子1985年入社の長野智子は、オレたちひょうきん族に「ひょうきんアナウンサー」と称され司会を務めた。

女子アナウンサーは「女子アナ」と略されることが多いが、この略語を誰が最初に作ったのかは定かではない。「女性アナ」という言い方ではこれ以前からあった。頼近のフジテレビ移籍を報じた1981年当時の週刊誌には「女性アナ」という表記が多く使われている[21][22]。初出と見られるのは『週刊宝石』1982年10月29日号[23]。記事の見出しに「フジテレビの女子アナの目立ちたがり戦争花盛り 再び野球拳で脱いだ田丸、連日ゲームセンター通いの頼近、フジの看板娘山村、益田……。人気女子アナの奮闘ぶりは? 」と2度も「女子アナ」という言葉を使用している[23]。同記事は田丸美寿々、頼近美津子、山村美智子を取り上げた記事だったが、記事本文には「女子アナ」という言葉は1度も使われず、「女性アナ」が5度、「美人アナ」が2度使われている[23]。この半年前の同じ『週刊宝石』1982年4月17日号は田丸と頼近の2人を取り上げた「第2の田丸・頼近を目指すテレビ局の新人美女を全角度品さだめ! ブラウン管に登場するフレッシュギャルを誌上紹介」というタイトルだったが[24]、この号には「女子アナ」という言葉は使われていない。『週刊宝石』1982年10月29日号が初出か、或いは他のマスメディアが1982年春から秋にかけて使用して、それを『週刊宝石』が真似て使用したかは分からない。

1987年にフジテレビ出版から発行された同局アナウンサーを取り上げた書籍『アナ本』の中に「女子アナ」という表記が見受けられる。現在も「女性アナ」と表記することもある[25]。「女子アナ」と「女性アナ」という表記が混在する記事もみられる[注 9]。2001年には句点付きの『女子アナ。』と題するドラマまで制作された。

続編として1991年に発行された『アナ本2』では、当時「花の三人娘」と呼ばれた、有賀さつき河野景子八木亜希子に焦点が当てられた。1993年には、日本テレビの人気アナウンサー永井美奈子ら3人からなるユニット「DORA」が結成され、CDをリリースした。

女子アナウンサー路線はフジテレビ、次いで日本テレビが先行していたが、TBSには1993年に雨宮塔子が、1994年進藤晶子が入社しそれぞれバラエティ番組とスポーツ番組で局の看板アナウンサーとなった。NHKには1994年に久保純子が入局し看板アナウンサーとなった。以後女子アナウンサー人気の定着とともに、各局とも女子アナウンサーと呼ばれるアナウンサーが増えていった。

1990年代後半から芸能事務所「セント・フォース」などは女性キャスター、リポーターに特化したマネージメント展開を行い、各局のニュース・ワイドショー番組に所属タレントを派遣。各局を退職したアナウンサーを所属タレントとして受け入れるほか、学生の所属タレントがその後、出演していた局のアナウンス職として採用される事例も存在し(本田朋子など)、さらには局との共同出資で芸能事務所(フォニックス)を設立するなど、局と事務所、相互の関係を深めている。

また、滝川クリステル(共同テレビ→フリー)、葉山エレーヌ→石田エレーヌ→葉山エレーヌ(日本テレビ)、加藤シルビア小林悠(共にTBS)、ヒロド歩美ABCテレビ)など、ハーフのアナウンサーが多く起用される傾向も見られる。外国人とのインタビューに際し通訳を介さず直接取材できる人材としての帰国子女や海外留学経験者と同等の理由で採用されているが、日本人のハーフに対するイメージから採用が多くなっているとも見られる。滝川、葉山(石田)などは当初は日本名で活動していたが、局のイメージ戦略のために意図的に外国名を名乗っており、タレント化の是非を巡る議論の一端となっている。

タレント化に関する論議

バラエティ番組やクイズ番組などで、社会的常識に欠ける発言や回答をするアナウンサーが時折見られる。これは「資質低下」だと厳しい指摘がされることが一般的だが、視聴率獲得目的の「演出」や一種のやらせも入っていることがある、と内幕が暴露されることもある。元日テレアナウンサーの石川牧子が「若者の読み書きの能力は年々低下している」「入社希望の学生の漢字テストの成績が良くない」と語っている他、日本テレビOBの福澤朗も自身のブログで、「非常に憂慮している」とした上で、「テレビはもうアナウンサーを必要としていない」と苦言を呈している。有賀さつきは、出演者の瞬間的なリアクションに、自分を含めた番組製作者らは台本にはない魅力を共有しており、自分もボケの役割をある程度進んで引き受けていたことや、社会的常識があるはずの局アナのイメージを逆手に取った、演出の一面があったことを明かしている[26]


注釈

  1. ^ 一説には「実力がある人ならば、フリーになれば10倍以上になる」ともいわれ、そういう話に心が動くのだろうと、つまりお金に惹きつけられることも多いのだろうと、容易に推察できる。
  2. ^ 世の中の視聴者の大きな動向、当該テレビ局側の諸事情、テレビ局vsテレビ局の競争状況、裏番組の状況、競合フリーアナウンサーたちの動向 等々
  3. ^ ただし、NHKの受信料が免除された場合を除く。
  4. ^ 入社時と同時期に行われる春の改編期に伴う新編成の都合上、中には入社式の前に番組に出演するケースもある[8]
  5. ^ かつてラテ兼営だったTBS(現TBSホールディングス)は2001年10月1日よりラジオ部門を子会社に継承。その後テレビ部門も放送免許と現業全般を子会社に分割承継し、放送免許は「TBSテレビ」と「TBSラジオ(分割承継当時の商号はTBSラジオ&コミュニケーションズ)」に分離(コールサインをラテ別々化)。STVは2005年10月1日よりラジオ部門を親会社の「札幌テレビ放送」より分社して子会社の「株式会社STVラジオ」に継承(ただしコールサインは網走局を除き開局当初からラテ別々)。中部日本放送は2010年7月1日よりラジオ部門を子会社化。その後テレビ部門も放送免許と現業全般を子会社に分割承継し、放送免許は「CBCテレビ」と「CBCラジオ」に分離(コールサインをラテ別々化)。朝日放送(現・朝日放送グループホールディングス)は2018年4月1日よりラジオ部門・テレビ部門を子会社に分割承継し、放送免許は「朝日放送テレビ」と「朝日放送ラジオ」に分離(コールサインをラテ別々化)。
  6. ^ 2000年代以降の在京キー局だけ見るとTBSとテレビ東京が該当している
  7. ^ 「本日は我々でお伝えします」あるいは「〇〇と××に変わって△△と□□でお伝えします」とだけ伝えられるだけで特段事情説明(夏休みや体調不良)されないまま番組は進行される
  8. ^ 女子アナウンサーがタレント化するはしりとなった(朝日新聞、2009年5月20日、35面)。
  9. ^ 見出しが「女子アナ」で本文では「女性アナ」という表記(女子アナ行かぬW杯 治安に不安、TV各局派遣見送り)。
  10. ^ ただし、番組やSNSで生年月日や年齢に触れられることもある。

出典

  1. ^ 小川彩佳アナを追放した報ステCPセクハラ懲戒 10人以上が被害東京スポーツ2019年9月5日。『ZAITEN』(旧『財界展望』)は、このチーフプロデューサーA氏を桐永洋と名指ししている。テレビ朝日・報道ステーション"キスセクハラ"プロデューサーの素顔(1)
  2. ^ [1][リンク切れ]
  3. ^ 元テレ朝・佐々木正洋アナの“大誤算”フリー転身で収入半減の「深いワケ」サイゾー2018年8月15日
  4. ^ a b 有働由美子が語る「一か八かの勝負時」 サザンの新曲に思い重ねバズフィードジャパン2018年6月23日
  5. ^ 週刊実話』2011年10月13日 特大号
  6. ^ 代表例:TBS土井敏之NHK佐賀局)、MBS田丸一男NHK大津局
  7. ^ 一例として、NHK(当時)の三浦拓実アナウンサーはラジオNIKKEI主催レースアナウンサー養成講座第1期生としてアナウンス訓練を受けている(後にNHK退局後にラジオNIKKEIに転職)。一部の大学には「アナウンス研究会」というサークルまで存在する
  8. ^ テレ朝・斎藤ちはる、入社式前にアナウンサーデビュー「楽しかった」”. ORICON NEWS (2019年4月1日). 2021年4月2日閲覧。
  9. ^ 入社29年目で“左遷” フジ川端健嗣アナに何が… 日刊ゲンダイ2013年8月6日掲載記事
  10. ^ 中野美奈子と同時に卒業した2人の女子アナ“気の毒”な最後 週刊ポスト2012年7月13日
  11. ^ 7/23(土)ご当地アナウンサー8人が集結!Koboスタ宮城で“わくわく夏まつり満喫対決”を開催!(楽天野球団)
  12. ^ 大橋未歩 『大橋未歩のミホちゃんねる!』 集英社、2006年、ISBN 978-4087804379、190頁 等
  13. ^ フジテレビは25歳が定年だった それってホント!?スポーツニッポン2016年10月19日、残間里江子の就職活動での実体験。
  14. ^ 週刊ポスト』2013年6月21日号
  15. ^ 週刊現代』 2008年8月23、30日号 25-27頁。
  16. ^ ウィンウィン対談 田丸 美寿々さん 「報道特集」ニュースキャスター逸見政孝氏 田丸美寿々を「20年に一人の逸材」と語っていた(NEWSポストセブン)日本初の女子アナ 1年で退社し9年後年下男性と心中した(NEWSポストセブン)田丸美寿々さん: わたしと司法 | 関東弁護士会連合会
  17. ^ a b 「女子アナ体張りすぎ!30年史」『FLASH』、光文社、2013年9月10日、p.50、2014年5月17日閲覧 
  18. ^ a b asahi.com(朝日新聞社):元祖美人アナ頼近美津子さんが死去 Archived 2009年5月23日, at the Wayback Machine.(新聞記事と内容は若干異なる)。元祖美人アナ頼近美津子さんが死去、53歳
  19. ^ 河野景子、八木亜希子ら80年代フジ女子アナ列伝 - NEWSポストセブン
    美人女子アナの草分け…頼近美津子さん死去(芸能) ― スポニチ 2009年5月20日、20面 Archived 2009年5月21日, at the Wayback Machine.
    元祖アイドルアナ頼近美津子さん、食道がんで死去 - 芸能:ZAKZAK
    追悼・頼近美津子さん 音楽を愛し、音楽に支えられ サンケイスポーツ、2009年5月20日、21面[リンク切れ]
    週刊ポスト」2009年6月5日号 小学館、30頁。
    「週刊ポスト」2012年1月1・6日号、58-61頁 「史上最強の女子アナは誰だ!!」
    女性自身」2009年6月9日号 光文社、50頁。
    文藝春秋」、2009年7月号、文藝春秋、276頁。
    『アナウンサーのすべて 女性編』共同通信社1998年、60頁。
  20. ^ 河野景子、八木亜希子ら80年代フジ女子アナ列伝 - NEWSポストセブン
  21. ^ 週刊サンケイ』 1981年2月11日号 26頁。
  22. ^ 週刊朝日』 1981年2月23日号 37頁。
  23. ^ a b c 「フジテレビの女子アナの目立ちたがり戦争花盛り 再び野球拳で脱いだ田丸、連日ゲームセンター通いの頼近、フジの看板娘山村、益田……。人気女子アナの奮闘ぶりは?」『週刊宝石』1982年10月29日号、光文社、214–217頁。 
  24. ^ 「第2の田丸・頼近を目指すテレビ局の"新人美女"を全角度品さだめ! ブラウン管に登場するフレッシュギャルを誌上紹介」『週刊宝石』1982年4月17日号、光文社、200–203頁。 
  25. ^ 民放キー局:女性アナ5人が出演する北京五輪放送CMが完成
    お笑いナタリー - 女芸人とテレ東女性アナがやりすぎ騎馬戦バトル
    日テレ女性アナが自殺か/主要ニュース速報/デイリースポーツonline
  26. ^ 有賀さつき 『さつき白書』 浪漫新社、1994年、ISBN 978-4847012020
  27. ^ アナウンサーの結婚式司会は闇営業なのか?”. アサ芸ビズ(2019年6月24日作成). 2019年6月29日閲覧。





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日本のアナウンサー」の関連用語

日本のアナウンサーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日本のアナウンサーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの日本のアナウンサー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS