伊豆半島沖地震
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関連項目
- 北伊豆地震(1930年)
- 河津地震(1976年)
- 伊豆諸島北部群発地震(2000年)
- 伊豆半島東方沖地震(2006年)
外部リンク
- 1974年伊豆半島沖地震 (PDF) 気象庁
- 『主要災害調査 一覧』 - 防災科学技術研究所、下段に複数の資料あり
- 多田堯:1974年伊豆半島沖地震の測地学的断層モデル, 地震 第2輯 1976 29巻 2号 p.117-126 , doi:10.4294/zisin1948.29.2_117
- 伊豆半島沖地震 山崩れで被害拡大 - NHK放送史
- 1974年 伊豆半島沖地震 - NHK災害アーカイブス
- ^ a b c d e “震度データベース検索”. 気象庁. 2021年7月15日閲覧。
- ^ a b c 1974年伊豆半島沖地震調査報告 (PDF) 気象庁地震課・静岡地方気象台・石廊崎測候所 験震時報第39巻 pp.89-120
- ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 22 静岡県』1982年10月8日発行、1310頁「地誌編 > 〔賀茂郡〕 > 南伊豆町」(角川書店)
- ^ 1974年伊豆半島沖地震の地震断層とそれにともなう被害 地學雜誌 1974年 83巻 4号 p.270-2766, doi:10.5026/jgeography.83.4_270
- ^ a b 1974年伊豆半島沖地震について:地震と災害の特徴 土隆一、宇津徳治 静岡大学地球科学研究報告
- ^ M6.5 - near the south coast of Honshu, Japan USGS
- ^ a b 武尾実、1974年伊豆半島沖地震の破壊過程, 地震 第2輯 1989年 42巻 1号 p.59-66 , doi:10.4294/zisin1948.42.1_59
- ^ 『読売新聞』2000年5月10日東京朝刊静岡2面31頁「防災意識さらに高めて」南伊豆町中木地区で「伊豆半島沖地震」慰霊行事=静岡 80人しめやかに」(読売新聞東京本社)
- ^ a b c 『読売新聞』2000年12月13日東京朝刊静岡2面33頁「[再訪20世紀](4) 1974年 伊豆半島沖地震 「余震怖く、肩寄せ合い寝た」 “苦渋の決断”、思い交錯」(読売新聞東京本社)
- ^ 大村 寛:伊豆半島沖地震による山崩れの特徴 砂防学会誌 1975年 28巻 1号 p.17-24 doi:10.11475/sabo1973.28.1_17
- ^ 寺島敦、大竹政和、小沢邦雄、伊豆半島沖地震 (1974-V-9) の温泉への影響, 地震 第2輯 1975年 28巻 3号 p.239-267, doi:10.4294/zisin1948.28.3_239
- ^ 下田支局 伊藤龍太「伊豆半島沖地震 発生から49年 南伊豆・中木地区で慰霊祭」『あなたの静岡新聞』静岡新聞社、2023年5月10日。2023年10月9日閲覧。オリジナルの2023年10月9日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 22 静岡県』1982年10月8日発行、924頁「みなみいずちょう 南伊豆町〈南伊豆町〉」(角川書店)
- ^ “砂防、治水関係の石碑”. 静岡県. 2023年10月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月9日閲覧。
- ^ 『毎日新聞』1996年5月10日東京朝刊静岡地方版「防災意識の高揚を呼びかけ、黙とう――南伊豆で、伊豆半島沖地震の慰霊祭 /静岡」(毎日新聞東京本社 佐藤薫)
- ^ 『毎日新聞』2004年5月10日東京朝刊静岡地方版27頁「防災への思い新た 伊豆半島沖地震・30周年慰霊式 /静岡」(毎日新聞東京本社【中村隆】)
- ^ 『毎日新聞』2014年5月10日東京朝刊静岡地方版23頁「伊豆半島沖地震:「風化させない」 40年慰霊祭、遺族ら誓う /静岡」(毎日新聞東京本社【梁川淑広】)
- ^ 『毎日新聞』2003年5月10日東京朝刊静岡地方版25頁「遺族100人が参列して供養――74年の伊豆半島沖地震慰霊祭 /静岡」(毎日新聞東京本社【中村隆】)
- ^ a b c 『朝日新聞』2002年9月11日名古屋朝刊第二社会面30頁「津波に備える:8 漂流物防ぐ強い建築物(地震の話)」(朝日新聞名古屋本社)
固有名詞の分類
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