京大坂道
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史跡
2015年10月7日に、高野参詣道の京大坂道不動坂で、旧態を留めている部分が「京大坂道不動坂」として、国の史跡「高野参詣道」の構成資産の一部として追加指定された[3]。
- ※1997年3月6日に「高野山町石道」が史跡指定されたが、2015年10月7日に、既指定の「高野山町石道」に、三谷坂、京大坂道不動坂、黒河道、女人道が追加指定された。その際、指定名称が「高野山町石道」から「高野参詣道」に変更され、構成資産の「高野山町石道」は「町石道」に名称変更され、町石道、三谷坂、京大坂道不動坂、黒河道、女人道が「高野参詣道」として史跡指定された[3]。
2019年(令和元年)10月、文化庁の「歴史の道百選」の「高野参詣道」の構成資産として「京大坂道」が追加選定された[34]。
- 京大坂道の旧態を留める、西郷、不動坂(高野町)部分が選定された。
世界遺産
2016年10月24日に、高野参詣道の京大坂道不動坂で、旧態を留めている部分が「京大坂道不動坂」として、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の「高野参詣道」の構成資産の一部として追加登録された[4]。
- 2004年7月に「高野山町石道」がユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部として登録されたが、2016年10年24日に、三谷坂、京大坂道不動坂、黒河道、女人道が追加指定された。その際、構成資産の「高野山町石道」は「町石道」に名称変更され、町石道、三谷坂、京大坂道不動坂、黒河道、女人道が「高野参詣道」として登録された[4]。
沿道の主な名所
- 西光寺苅萱堂
正式には、如意珠山能満院仁徳寺とよばれる真言宗寺院である[35]。
- 中世に高野聖が語り歩いたり、浄瑠璃、歌舞伎、読本、謡曲「苅萱」、説教節「かるかや」で登場する、出家した武士・苅萱道心とその息子・石童丸、石童丸の母・千里御前の物語にゆかりある苅萱堂として知られる。寺宝として、願いを叶える宝石「夜光の玉」、今から千数百年前に滋賀県蒲生川で捕れたと伝わる「人魚のミイラ」や石童丸に関する遺品が残る[36]。
- 登録名:「苅萱道心・石童丸関係信仰資料」:一括(32点) - 2009年(平成21年)3月17日に和歌山県の有形民俗文化財に指定された[37]。
- 六地蔵
江戸時代に参詣者の安全登山を祈って作られた。今も子安地蔵として信仰されている[17]。
- 第1の地蔵:橋本市清水地区
- 第2の地蔵:橋本市南馬場地区
- 第3の地蔵:九度山町繁野地区
- 第4の地蔵:九度山町河根地区
- 第5の地蔵:高野町作水地区
- 第6の地蔵:高野町桜茶屋地区
- 剃刀岩
道の狭い街道を剃刀で広げたと伝わる[38]。
- しずく岩
盛夏でも水がしたたり、弘法大師が喉を潤し、また硯の材として使用したと伝わる[38]。
- 河根丹生神社
祭神 - 丹生都比売大神、高野御子大神(狩場明神)
- 所有文化財:1517年(永正14年)と1678年(延宝6年)に社殿を改築した棟札が現存。石造翁の面・2面、能面・10面、鏡・4面(内1面に1652年(慶安5年)の銘がある)。和歌山県下最古の1419年(應永26年)の銘がある狛犬1対[39]。
- 登録名:「石造狛犬1対」 - 1959年(昭和34年)8月18日に和歌山県の有形文化財(彫刻)に指定された[40]。
本尊は大日如来で、高野山真言宗の寺院。河根丹生神社と境内を隣接し、神仏習合時代に河根丹生神社の神宮寺であった。
- 千石橋
1634年(寛永11年)に幕府により架けられる。7年ごとに営繕費千石が支給された。あるいは、年貢米千石を運んだことにより「千石橋」と呼ばれている[41]。
- 中屋旅館跡
かつて河根宿の本陣で、身分の高い参詣者の休憩、宿泊に利用された。江戸時代、高野山は参勤交代を行っており[42]、高野山の重役方も宿として使用した[43]。赤穂浪士・村上兄弟が宿泊し、父の仇討の相談を行った宿である[44]。
- 日本最後の仇討ち墓所
仇討ちで討たれた者達の墓が並ぶ。
- 1862年(文久2年)に播州赤穂藩でお家騒動が発端となり、下級武士たちが赤穂藩家老らを惨殺したことに対する仇討ちで、下級武士たちは高野山に出家することで仇討ちを逃れようとしたが、1871年(明治4年)に家老の遺族たちが宿場町の神谷の黒岩付近で仇討ちを果たした[45]。討たれた7人は現地の村人によって葬られ、「殉難七士の墓」として祀られている[17][46]。
- 神谷宿
かつて本陣・脇本陣があり、昭和初期までに10件程度の宿があり、街道情緒が残る[48]。
- 学文路駅(かむろえき)
切符は「学問(文)の路に入るお守り」として、受験生に人気を博している[49]。
- 南海鉄道が高野大師鉄道と大阪高野鉄道を合併した2年後の1924年(大正13年)に開業。駅舎は今も当時の面影のまま利用されている。高野参詣道の宿場町として栄えた旧学文路村にちなんだ駅名で、難読の駅名として知られる。学問の神様・菅原道真公が祀られている学文路天満宮の最寄り駅である[49]。
南海高野線の終点駅である。
- 直下を流れる「不動谷川」に架かる橋の役割も果たす駅構内通路でケーブルカー極楽橋駅へ繋がり、ケーブルカーで高野山駅へ向かうことができる。当駅で下車し、川沿いを下っていくと駅名の由来となった「極楽橋」があり、極楽橋を渡ると徒歩での新・旧京大坂道不動坂の登り口がある[17][50]。
- 万丈転がし
旧不動坂にあり、かつての罪人処刑場とされる。
- 高野山内の罪人に対し、2番めに重い刑として手足を縛り、す巻きにし断崖から投げ落とした[51]。
- 清不動
かつて万丈転がし付近にあったが、1920年(大正9年)に新不動坂へ移築された[51]。
- 女人堂
京大坂道からの高野山内への入口となる不動坂口に、唯一現存する女人堂[19]。
高野参詣道 京大坂道を歩く
近年、ウォーキング・ハイキング案内書などで京大坂道のルートが詳細に紹介され、橋本市学文路から京大坂道を、もしくは高野町極楽橋から京大坂道不動坂をウォーキングコースとして手軽に歩けるようになった[17]。
- 和歌山県橋本市にある南海高野線「学文路駅」で下車し、京大坂道を、高野山の入り口となる女人堂がある不動坂口まで歩いた場合、歩行距離は約10km、歩行時間は約3時間30分程度(休憩時間含まず)[17]。
- 和歌山県伊都郡高野町にある南海高野線「極楽橋駅」で下車し、京大坂道不動坂を、極楽橋から高野山の入り口となる女人堂がある不動坂口まで歩いた場合、歩行距離は約3km、歩行時間は約1時間程度(休憩時間含まず)[17]。
※途中、携帯電話の電波が入らない場所もあるので注意が必要である。
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- ^ a b 入谷 2019, p. 70.
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