七里ヶ浜 歴史

七里ヶ浜

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歴史

稲村ヶ崎から見た七里ヶ浜
新旧対比。歌川広重『富士三十六景』より
関東大震災津波被害の七里ヶ浜
七高坂
七里ヶ浜に沿って走る江ノ電(稲村ヶ崎駅・七里ヶ浜駅間の踏切)
  • かつては、海食崖に直接波が打ち寄せる険阻な地形のため、交通は困難であった。奈良〜平安時代の鎌倉には、現在の鎌倉駅西方に鎌倉郡衙(ぐんが)が置かれており、源頼義鎌倉景正らの武将も居住していたが、上方(かみがた)や相模国衙との連絡には主に大仏坂や化粧(けわい)坂が用いられ、最短ルートの七里ヶ浜は余り用いられなかったと思われる。
  • 鎌倉幕府が開かれると、忍性により極楽寺の再興と共に極楽寺坂切通しが整備され、上方と結ぶ重要なルートとなった。
  • 文永8年(1271年) - 日蓮龍口(たつのくち)法難の際に、事件を伝える使者と赦免を伝える使者が七里ヶ浜中央部で行き違い、そこを流れる河川の名を行合川と名付けたという言い伝えがある。
  • 元弘3年 / 正慶2年(1333年) - 鎌倉攻め新田義貞軍が稲村ヶ崎の断崖の海岸伝いに鎌倉へ突入、この奇襲攻撃が功を奏して鎌倉幕府の滅亡に繋がったという言い伝えは余りにも有名である。
  • 応永16年(1409年)7月22日 - 義貞の孫の新田貞方が、侍所千葉兼胤に捕らわれ、七里ヶ浜で嫡子の貞邦と共に斬られる。
  • 明応7年8月25日(1498年9月11日) - 明応地震による大津波が来襲。大仏殿(高徳院)流失の記録があるので、七里ヶ浜の損害も大きかったと思われる。
  • 元禄16年11月23日(1703年12月31日) - 元禄地震による大津波が来襲。大仏殿が流失している。
  • 江戸時代には江の島と鎌倉を結ぶ観光ルートとなり、観光客を相手とする茶店などが稲村ガ崎付近に立地し、七里ヶ浜から江の島・富士山を望む光景は浮世絵などにも多く描かれるようになった。
  • 文久2年(1862年) - 歌舞伎青砥稿花紅彩画初演。弁天小僧菊之助の台詞に「浜の真砂と五右衛門が、歌に残した盗っ人の、種は尽きねえ七里ヶ浜」とあり、七里ヶ浜の地名が江戸庶民に広く知られていたことが想像できる。
  • 幕末、外国船が日本近海に出没するようになると、西端の小動(こゆるぎ)岬に八王子遠見番所、東端の稲村ヶ崎にも台場が設置され、川越藩・長州藩が防衛にあたった。
  • 1879年明治12年) - 医学者エルヴィン・フォン・ベルツが七里ヶ浜を保養適地として紹介した。
  • 1899年 - 中村春次郎博士が腰越に恵風園療養所を開設した。
  • 1903年6月20日 - 江之島電気鉄道の 片瀬 - 行合橋間延伸。腰越浜上、袂ヶ浦、日坂、谷沢、七里ヶ浜、峰ヶ原、田辺、行合橋各停留所、開設
  • 1903年7月17日 - 江之島電気鉄道の 行合橋 - 追揚間延伸。追揚停留所、開設
  • 1904年4月1日 - 江之島電気鉄道の 追揚 - 極楽寺間延伸。姥ヶ谷、音無橋、稲村ヶ崎各停留所、開設。
  • 1910年1月23日 - 七里ヶ浜沖で逗子開成中学ボート遭難事故が起きた。
  • 1910年 - 鈴木孝之助医学博士が日坂に鈴木療養所を開設した。
  • 1912年大正元年)9月 - コッホ博士記念碑、霊仙山頂に建立。
  • 1915年9月17日 - 江ノ電停車場改称。田辺を行合に、行合橋を大境に。
  • 1918年6月24日 - 江ノ電停車場改称。袂ヶ浦を恵風園前に。
  • 1923年9月1日 - 沖合を震源とするM7.9の大正関東地震による大津波が押し寄せる。海底地形のためか被害程度は場所によって差がある。復旧直後に江ノ電に乗車した人の記憶によれば、現在の七里ガ浜高等学校付近では、丘陵斜面の松林に引っ掛かった海藻が江ノ電の車窓から見上げられるほどだったという。
  • 1925年7月16日 - 江ノ電、腰越、稲村ヶ崎に待避線新設。
  • 1928年昭和3年) - 県道片瀬鎌倉線(後の国道134号)の開削工事が行われ稲村ヶ崎の丘陵が分断されて切り通しが開かれた。
  • 1929年11月30日 - 聖母訪問会が日坂上に財団法人聖テレジア七里ヶ浜療養所を開設した。
  • 1929年 - 江ノ電停車場改称。腰越浜上を小動に。
  • 1932年7月10日 - 江ノ電の廃車をバンガローにした七里ヶ浜キャンプ場開設。
  • 1932年 - ロシアから亡命したプリマバレリーナ、エリアナ・パヴロワ(後に日本に帰化)が七里ガ浜にバレエスクールを開設した。
  • 1934年3月13日 - 稲村ヶ崎新田義貞徒渉伝説地)(いなむらがさき(にったよしさだとしょうでんせつち))が国の史跡に指定される。
  • 1935年 - 江ノ電、大境、追揚間にキャンプ場前臨時停車場開設。
  • 1939年11月3日 - 鎌倉郡鎌倉町腰越町が合併、鎌倉市となる[10]
  • 1944年6月30日 - 江ノ電、キャンプ場前臨時停車場を廃止。
  • 1944年11月18日 - 江ノ電、小動、恵風園前、七里ヶ浜、行合、大境、追揚、姥ヶ谷各停車場を廃止。峰ヶ原、旧行合間に新七里ヶ浜停車場開設。
  • 1945年4月28日 - 江ノ電、峰ヶ原停車場を廃止。
  • 1949年6月11日 - 藤沢駅〜七里ヶ浜〜鎌倉駅間のバス路線、神奈川中央交通から江ノ島電気鉄道に譲渡。
  • 1951年6月7日 - 七里ヶ浜在住の哲学者西田幾太郎博士の記念歌碑が建立された。
  • 1952年 - 神奈川県立鎌倉高等学校が御成小中学校との併設校舎から現在地に移転し、翌年江ノ電の交換駅だった日坂駅が鎌倉高校前駅に改称、峰ヶ原信号場が新設された。神奈川県道横須賀大磯線(湘南道路)が二級国道134号に指定されたが、鎌倉部分が有料化されたため、1975年まで七里ヶ浜に料金所が設けられた。
  • 1957年 - 七里ヶ浜ホテル開業、テント村50戸開業。
  • 1960年代になると鎌倉周辺の大型宅地造成が活発化し、田辺地区の丘陵中腹に西武七里ヶ浜住宅地が開発された。その残土が開発業者により砂浜に不法投棄され、その始末のため砂浜の一部が条件付き(恒久的な建築物は不可)で払い下げられ、大型駐車場が建設された。かつての結核療養所は次々に一般病院に移行した。渚では、サーフィンやウィンドサーフィンを楽しむ若者の姿が見られるようになった。
  • 1961年 - 鈴木療養所、創立50周年を機に鈴木病院と改称。
  • 1963年6月29日 - 七里ヶ浜海水プール開業。
  • 1963年 - 七里ヶ浜ゴルフ練習場開業(96打席)。
  • 1964年5月17日 - 「ボート遭難の碑」建立。
  • 1965年4月1日 - 二級国道134号横須賀大磯線、一般国道134号となる[11]
  • 1966年9月1日 - 腰越一〜五丁目で住居表示実施[12]
  • 1966年 西武七里ヶ浜住宅地分譲開始。
  • 1969年2月1日 - 極楽寺一〜四丁目・稲村ガ崎一〜五丁目で住居表示実施[13]
  • 1969年4月20日 - 七里ガ浜東一〜四丁目で住居表示実施[14]
  • 1972年1月10日 - 七里ガ浜東五丁目・七里ガ浜一、二丁目で住居表示実施[15]
  • 1975年3月1日 - 湘南道路鎌倉区間を無料開放[16]
  • 1975年6月8日 - 暴走族600人が七里ヶ浜で乱闘(毎日新聞報道)。
  • 1976年4月1日 - 鎌倉市立七里ガ浜小学校が開校。神奈川県立七里ガ浜高等学校が鎌倉高等学校内に開校して翌年に現在地の七里ヶ浜ホテル跡地へ移転した。日本テレビ系連続ドラマ『俺たちの朝』がヒットして「七里ヶ浜ブーム」となり、呼応して国道沿いにレストランなどが続々と開業した。
  • 1976年4月30日 - 江ノ電バスが藤沢駅 - 七里ヶ浜東台 - 藤沢駅を運行開始。
  • 1980年代以降、七里ヶ浜周辺を舞台にした映画、テレビドラマ、コミック作品やゲームソフト、プロモーションビデオ、カラオケの背景、CMフィルムが続々と発表されるようになった。また、大型の集合住宅なども建つようになった。しかし、丘陵斜面に立地するものが多いため、交通の面が大きなネックであり、成熟した買い回り品商店街がほとんど見られないため、住宅地としては数々の問題点を抱えている。
  • 1983年11月 - 霊仙山頂にあったコッホ博士記念碑を稲村ガ崎に移設。
  • 1986年 - 鎌倉パブロバ記念館が開館。
  • 1995年平成7年)7月22日 - 鎌倉プリンスホテル開業(98室)。
  • 1996年 - 鎌倉パブロバ記念館が閉館。
  • 1996年 - 七里ヶ浜海岸、日本の渚百選に選定される。
  • 1997年4月16日 - 江ノ島電鉄線七里ヶ浜駅、新駅舎竣工。
  • 1997年10月14日 - 江ノ島電鉄線鎌倉高校前駅関東の駅百選に選定される。
  • 2001年10月6日 - 鎌倉市・江ノ島電鉄、「七里ガ浜パーク&レールライドフリーパス」発売開始。

町名の変遷

実施後 実施年月日 実施前(各字名ともその一部)
七里ガ浜東一丁目 1969年4月20日 大字腰越字藤古、大字字藤古谷
七里ガ浜東二丁目 大字腰越字矢口・字中山・字藤古・字田辺広町・字広町、大字津字藤古谷
七里ガ浜東三丁目 大字腰越字矢口・字藤古、大字津字大野・字藤古谷・字矢入、大字極楽寺字一ノ谷
七里ガ浜東四丁目 大字腰越字矢口・字藤古・字田辺広町・字七回り・字矢入、大字津字田辺広町・字田辺谷・字東ノ谷・字大野
七里ガ浜東五丁目 1972年1月10日 大字腰越、大字津
七里ガ浜一丁目
七里ガ浜二丁目



  1. ^ a b c d 町丁字別・地域別人口と世帯数(国勢調査基準・各月・平成13年~)” (XLSX). 鎌倉市 (2023年9月12日). 2023年9月17日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  2. ^ a b 令和4年(2022年)版 鎌倉の統計” (PDF). 鎌倉市. 2023年8月14日閲覧。(CC-BY-4.0)
  3. ^ a b 七里ガ浜の郵便番号”. 日本郵便. 2023年8月9日閲覧。
  4. ^ a b 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ a b 七里ガ浜東の郵便番号”. 日本郵便. 2023年8月9日閲覧。
  6. ^ 七里ヶ浜海岸”. 鎌倉市観光公式ガイド. 2022年11月14日閲覧。
  7. ^ 鎌倉市の町名称及び住居表示の実施状況”. 鎌倉市 (2019年2月7日). 2019年8月2日閲覧。
  8. ^ 新編鎌倉志 1915, pp. 110–111.
  9. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査”. 国土交通省. 2023年8月9日閲覧。
  10. ^ 1939年(昭和14年)11月3日内務省告示第515号
  11. ^ 1965年(昭和40年)3月29日政令第58号「一般国道の路線を指定する政令」
  12. ^ 1966年(昭和41年)11月30日自治省告示第176号「住居表示を実施した件」
  13. ^ 1969年(昭和44年)2月24日自治省告示第24号「住居表示が実施された件」
  14. ^ 1969年(昭和44年)7月2日自治省告示第113号「住居表示を実施した件」
  15. ^ 1973年(昭和48年)2月26日自治省告示第27号「住居表示を実施した件」
  16. ^ 1975年(昭和50年)2月28日日本道路公団公告第13号「有料道路「湘南道路」の料金の額の変更公告」
  17. ^ a b c d 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  18. ^ a b c d 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  19. ^ a b c d 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  20. ^ a b c d 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  21. ^ a b c d 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  22. ^ a b c d 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
  23. ^ a b c d e f 経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  24. ^ a b c d 経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  25. ^ 鎌倉市の市立小学校通学区域”. 鎌倉市. 2019年8月2日閲覧。
  26. ^ 鎌倉市の市立中学校通学区域”. 鎌倉市. 2019年8月2日閲覧。
  27. ^ 郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年7月17日閲覧。






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