gumi創業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:53 UTC 版)
2007年(平成19年)6月、アットムービーの取締役を退任し、モバイルを中心としたインターネットコンテンツを提供する株式会社gumiを創業し、代表取締役に就任。「打倒!Zynga」を掲げて、携帯を活用した、リアルタイムSNS「gumi」のサービス提供を開始した。ちなみに、ウノウも山田進太郎も出資者だった。Zyngaがうちの株を持っているというのも面白い因縁だった。このビジネスはユーザー同士のコミュニケーションがコンテンツで、人が多ければ面白いけど、少ないと面白くない。面白くなければ人が集まらない。とても難しいサービスで、最初にイノベーター、アーリーアダプターといわれる層にリーチして、あとはお金をかけてキャッシュポイントを超える。それがこのビジネスモデルの基本だった。ただ、携帯のアーリーアダプターは女子中高生だった。その頃は、携帯のネットって、今でこそスマートフォンが出てきて誰もが使うようになったが、その頃はエンジニアから「あんなのは技術じゃねえ」とさげすまされた。 最初はウノウがサイトを設計してくれるという約束だったが、山田に聞くと「誰もやったことないし、作りたがらないんだよ」と。で、結局、國光がウノウのエンジニアを必死で説得して、やってもらうことになった。当時の女子中高生はツイッターなんてまだ知らないから、ユーザーを集めるのは大変だった。それでもエンタメ業界の伝手を使って、映画やドラマとの相互タイアップを仕かけるなどして、少しずつユーザーを増やしていく。そうやってユーザーを増やしながら、コミュニティを作ろう、写真や動画の投稿ができるようにとか、いろんな機能を追加していく。でも、ある時ふと気付いた。「あれ? これってツイッターじゃないな。しょぼいSNSになってる」。何か方向性が違うなと。そんなことを考えていた頃、アメリカで「フェイスブック」がプラットフォームをオープン化。さらに、APIを用意して、口コミができるような仕組みも作ると。「これだ、ツイッターじゃなかったな」と直感する。 携帯版のフェイスブックにしよう。余計な機能がたくさんついていたが、これをアプリベースにしていこう。ソーシャルwebの時代が来る、そしてモバイル・ソーシャルWebが時代の中心になることを信じ続けた。そんな中で、ミクシィの1年前の段階で、「gumi」自体をオープン・ソーシャル対応。携帯のSNSでは世界初、業界内騒然だろうと思ったが國光の予想を裏切り、世間は無反応。まだ会員数7万人程度だったので誰もアプリをつくってくれない。仕方なく自社で作り始めた。ミクシィのモバイル版がオープンされた際に、自社制作のクイズ、検定などのソーシャル系アプリを投入した。先行者メリットもあってドンとブレイクした。 多くの携帯向けアプリ開発会社はミクシィがオープンした後に始めたが、彼らよりもすでに数年間長い経験、ノウハウ、技術力があった。その後、リクルートホールディングスや楽天と一緒に、コミュニケーション系のアプリの開発をやったりしたが、広告モデルでは儲からない。そこでモバゲーがオープン化した2010年(平成22年)1月のタイミングで、ソーシャルゲームの制作に主軸を変えた。ミクシィ、モバゲー上で、ゲームのヒットがいくつか生まれる。グリーとモバゲーの骨肉の争いがあってその後はグリーを主戦場にする。グリーを選んだ理由は、ほかの会社がほぼみんなモバゲー派だった、どっか1社くらいはグリーを選ばないと、と。加えてグリーが熱心に誘ってくれたこともあり、ワンオフゼムになるよりも、信頼のできるパートナーとがっちり組んでやろうと。グリーとの資本提携も受け入れた。
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