Gul Djemalとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/30 16:00 UTC 版)
「ゲルマニック」の記事における「Gul Djemalとして」の解説
1910年オスマン帝国政府はドミニオン・ラインよりオタワを買い取り、オタワはGul Djemalという名を与えられオットーマン総督(de Nav. A Vapeur Ottomane)の指揮下、5船からなる艦隊の1船として1911年5月15日を最後にリバプールを後にした。その後数ヶ月後、イエメンにオスマン帝国軍の兵士を運ぶ任務に就くこととなった。第一次世界大戦勃発時、オスマン帝国はドイツ帝国と共闘し、Gul Djemalは再び軍艦として兵士をガリポリ半島へ移送することとなった。しかし、1915年5月3日、Gul Djemalは4,000人の兵士を移送中連合国軍の潜水艦E-14に雷撃された。その結果、浅瀬に沈み甲板までの沈水にとどまったものの搭乗者の殆どが死亡することとなった。ただ、Gul Djemalは完全に沈んだわけではなかったので引き揚げ修理することが可能であると判断され、その修理後再び戦争に従事した。1918年、Gul Djemalは連合国側によって指定されたドーバーまで1,500人のドイツ帝国軍の兵士を移送し、そこで兵士達は武装解除され各家庭への帰省が認められた。 長年続いた戦争の終結により、1921年10月10日、Gul Djemalはオットーマン・アメリカンラインで再び新天地アメリカへの移民を運ぶことになった。そしてその後黒海で運用されることとなった。
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