WRC引退後
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「マーカス・グロンホルム」の記事における「WRC引退後」の解説
2008年からは夫人との共同経営でショッピングセンターを経営する傍ら、後進ラリードライバーの育成に努めている。また、2・3戦とスポットながら、ノルウェーのラリークロス選手権にフォード・フィエスタで出場した。 グロンホルム本人は引退当時から「本当に限定的だが例外もある」という言い回しでWRCへのスポット参戦をほのめかしていたが、2009年はスバルからWRCに復帰するとの予定が報じられた。しかし、スバルが2008年をもってワークス活動を終了してしまい、一度はグロンホルムの出場話も消滅した。ところがスバルの実働部隊であったプロドライブが独自にインプレッサの開発を限定的ながらも継続しており、ボーダフォンのスポンサードも受けられる見通しとなったことから、同年4月のラリー・ポルトガルにスポット参戦した。ラウティアイネンも現役に復帰しグロンホルムのナビを務めたが、結果はSS8でリタイアに終わった。 同年にはパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムにもフォード・フィエスタで初出場。近年パイクスピークで絶対的な強さを誇っている田嶋伸博に対抗できる一番手と見られていたが、途中でオーバーヒート症状が出た影響もあり、結果は11分28秒963と田嶋に及ばず優勝を逃した。 2010年はフィンランドの実業家(ラリードライバーでもある)マティアス・テルマンの支援のもと、WRC開幕戦のラリー・スウェーデンにフォード・フォーカスWRCで出場。自らが経営するレストランの名前の由来になったステージ・セーゲン2でベストタイムを出すものの、電気系統トラブルとパンクのため21位に終わった。また、2011年からWRCに参戦するMINI(プロドライブ)のドライバー候補に名を挙げられ、ミニ・ジョン クーパー ワークス WRCのテストにも参加した。 2011年からは活躍の舞台をアメリカに移した。ベスト・バイのスポンサードを受けたフォード・フィエスタでこの年に発足したグローバル・ラリークロス選手権(GRC)に出場。そのシリーズ戦として組み込まれたステイプルズ・センターでのX-gamesラリークロス競技に出場し、銀メダルを獲得した。2012年は開幕2連勝をあげるも、第3戦のX-gamesではプラクティス中のクラッシュで負傷し、リタイアしている(この年はX-games初参戦のローブが圧勝し金メダルを獲得した)。 2014年よりフォルクスワーゲンとテストドライバー契約し、ポロR WRCの開発に関わる。新規定の2017年モデル開発にも加わっていたが、2016年限りでのWRC撤退表明によりお蔵入りとなってしまった。 2018年のWRCフィンランドではSS1のデモランをトヨタのヤリスで走り、現役ドライバーと遜色のないタイムを出した。 2019年WRC第2戦スウェーデンで50歳になった自分への誕生日プレゼントとしてトヨタのヤリスでプライベーターとして参戦。SSSではローブと対戦するなどラリーを盛り上げた。
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WRC引退後
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「スティグ・ブロンクビスト」の記事における「WRC引退後」の解説
ミシェル・ムートンが主催するレース・オブ・チャンピオンズにも度々出場しており、1989年、1990年に優勝、近年でも地元ラリーイベントやアウディ関連のイベントで健在ぶりをアピールしている。 2002年英BBCトップ・ギアのテストトラックドライバーであるザ・スティグの正体の有力説としてネーミングから連想される為、噂されたが否定している。 2004年Mach 2 Racing Teamからパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムのアンリミテッドクラスに参戦し、かつてドライブし急遽WRCで取止めとなったカテゴリであるグループSで駆る予定であったフォード・RS200Eでトップタイムを叩きだす。 2008年9月にスコットランドで行われたコリン・マクレー追悼ラリーである「コリン・マクレー・フォレスト・ステージ・ラリー」にはフォード・エスコート RS1600で参加している。 2010年3月のジュネーブ・ショウではアウディーブースのクワトロシステム30周年として、当時のスポーツクワトロ(A2)とともに登場。ステージイベントに華を添えた。 2012年、ビヨン・ワルデガルドと共にパトリック・サンデルのプロドライブへのシート獲得支援を行っている。
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