WRCグループB(S)勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 14:53 UTC 版)
「パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム」の記事における「WRCグループB(S)勢」の解説
1980年代中盤、WRCにおいてグループB車両による死亡事故が相次いだこともあり、当時国際的なモータースポーツ競技全般を管掌していた国際自動車スポーツ連盟(FISA)は1986年シーズンをもってグループBを消滅させ、メインストリームを安全性の高いグループA車両による戦いとすることを発表した。 これによりWRC参戦が不可能となったグループB車両が、本大会のオープンラリークラスへ転用された。 アウディは、1985年よりヴァルター・ロール、ミッシェル・ムートンといったWRCの常連勢が駆るアウディ・スポーツクワトロS1のパイクスピーク仕様を投入し、1985年はミッシェル・ムートンが11分25秒39、1987年はヴァルター・ロールが10分47秒85を記録し、当時の最高記録を塗り替えた。 続いてプジョーも、1987年~1989年にオープンラリークラスに参戦した。マシンは1987年はパリ・ダカールラリーにも転用していたプジョー・205ターボ16、ドライバーはアリ・バタネンとシェカー・メッタであった。1988年には405T16GRを投入、10分47秒22を記録し、前年のロールの記録を更新した。この時の映像を使ったドキュメンタリーショートフィルム作品「Climb Dance」がヨーロッパで発表され、この大会の知名度向上に貢献した。その後の2000年代にもプライベーターの手により時より姿を見せ、年代を越えた走りを見ることが出来た。 ランチアは、ランチア・デルタS4にウイング拡大化などのモディファイを施し参戦したが、成績は振るわなかった。 2004年には、WRCで予定されながらグループB消滅とともに立ち消えとなったカテゴリであるグループS用マシンのフォード・RS200Eが、プライベートチームであるMach 2 Racing Teamから、かつてのRS200ワークスドライバーのスティグ・ブロンクビストのドライブで出場し、優勝した。このマシンは2009年にも改良を加えられ、アンリミテッドクラスに出場した。
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