WRCでの活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 14:50 UTC 版)
「シュコダ・オクタヴィアWRC」の記事における「WRCでの活躍」の解説
開発の多くを外部に頼り、経験のない4WDターボ車、ライバルに比べ15~40cmも長い大柄なボディを持つWRカーを熟成させるのはシュコダにとって至難の業であった。2000年からEVOIIを投入し、アクロポリスでアルミン・シュヴァルツが5位に入賞したのがベスト・リザルトであった。2001年にはモンテカルロで4位(終盤まで3位を走行)、サファリでシュコダとしても初の表彰台3位を獲得する(いずれもドライバーはアルミン・シュヴァルツ)。2002年はドライバーのラインナップを一新、トニ・ガルデマイスターとケネス・エリクソンの体制とするが、新WRカーとなるファビアWRCの開発が始まっており、エンジンとリアのアクティブ・デフ以外は開発がストップ、シーズン途中から投入されたEVOIIIもパフォーマンスの向上は期待できない状態にあった。ベストリザルトはアルゼンチンでガルデマイスターが獲得した5位にとどまる。2003年はエリクソンに代えてディディエ・オリオールを起用。第7戦キプロスがオクタビアWRCの最終戦となり、第8戦ドイツからファビアWRCにスイッチした。
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