TMK 201
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/28 08:35 UTC 版)
TMK 201 | |
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基本情報 | |
製造所 | ジュロー・チャコビッチ工場 |
製造年 | 1973年 - 1974年 |
製造数 | 30両(ザグレブ市電) 2両(ベオグラード市電) |
投入先 | ザグレブ市電、ベオグラード市電 |
主要諸元 | |
編成 | 単車(ボギー車) |
軌間 | 1,000 mm |
最高速度 | 65.0 km/h |
全長 | 14,000 mm |
全幅 | 2,200 mm |
主電動機出力 | 60 kw |
出力 | 240 kw |
備考 | 主要数値は[1][2][3][4][5]に基づく。 |
TMK 201はユーゴスラビア時代に製造された路面電車車両。2017年現在はクロアチアの首都・ザグレブのザグレブ市電に在籍する。この項目では、同時期に製造された付随車についても解説する[1][2][3][4]。
概要・運用
1951年に試作車が製造された後、1957年から1965年まで量産車が作られたTMK 101の改良型として、1971年から開発が始まった車両。TMK 101と同様に片運転台式のボギー車として設計されたが、全長が14 mに伸び定員数が増加した他、主電動機(出力60 kw)もTMK 101の1台車につき1基搭載(モノモーター方式)から2基搭載に変更された。電気機器を除いた部品の大半はクロアチア地域で生産されたものを使用した[1][2][6]。
製造は1973年から行われ、TMK 101の量産車の製造も実施したジュロー・チャコビッチ工場(Đuro Đaković)が手掛けた。翌1974年までにザグレブ市電へ向けて30両の導入が完了し、同年7月22日から営業運転を開始したが、購入費用や生産能力などを検討した結果、ザグレブ市電を運営していたザグレブ電気軌道(ZET)はジュロー・チャコビッチ工場との新型車両導入契約を打ち切ったため、それ以上の増備は行われなかった[注釈 1]。また、現:セルビアのベオグラード市電向けの車両も2両製造された[1][2][3][4][5]。
2017年の時点で残存するのは、ザグレブ市電向けに作られた1974年製の12両である。また、1990年代以降に登場した3車体連接車のTMK 2100には廃車されたTMK 201から供出した台車や電気機器が用いられている[1][2][3][4]。
TP 701
TMK 201と共に導入された付随車。1973年から1974年にかけて製造が行われ、2017年の時点でザグレブ市電に12両が残存する。TMK 201と連結した2両編成での総定員は156人である[2][4][7]。
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TP 701
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e “Tram in Zagreb” (英語). ZET. 2012年12月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月9日閲覧。
- ^ a b c d e f Zvonko Benčić (2014年2月18日). “Development and production of electric vehicles in Croatia”. Croatia.org. 2020年6月9日閲覧。
- ^ a b c d Ianus Christius (2017年3月31日). “Zagrebački električni tramvaji – nekad i danas”. Libertas nova. 2020年6月9日閲覧。
- ^ a b c d e ZAGREBAČKI HOLDING d.o.o. (2017年11月17日). PLAN PODJELE TRGOVAČKOG DRUŠTVA (PDF) (Report). pp. 40, 44. 2020年6月9日閲覧。
- ^ a b “Roster Beograd, Đuro Đaković TMK201”. Urban Electric Transit. 2020年6月9日閲覧。
- ^ Matija Boltižar (2017年6月11日). “TRAMVAJSKA LEGENDA JOŠ SE UVIJEK MOŽE VIDJETI NA ZAGREBAČKIM TRAČNICAMA Jeste li znali da se možemo pohvaliti s jednim od najljepših tramvaja svijeta”. JutarnjiVijesti. 2020年6月9日閲覧。
- ^ Ante Kukolić (2015年9月). ANALIZA NERAVNOMJERNOSTI PRIJEVOZNOG PROCESA U TRAMVAJSKOM PODSUSTAVU GRADA ZAGREBA (Report). Zagreb: Sveučilište u Zagrebu Fakultet prometnih znanosti. p. 9. 2020年6月9日閲覧。
TMK 201
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 23:39 UTC 版)
クロアチア(→ユーゴスラビア)の国内企業であったジュロー・チャコビッチ工場(英語版)(Đuro Đaković)で製造されたボギー車。従来の車両から車体が大型化し、出力も向上した。付随車のTP 701と共に1973年から1974年にかけて製造された。 「TMK 201」も参照
※この「TMK 201」の解説は、「ザグレブ市電」の解説の一部です。
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「TMK 201」の例文・使い方・用例・文例
- 最初は1914年に建てられ、1945年に戦災を受けました。現在の駅は、元の姿に復元するために2012年に建て直されたものです。
- 富士山は2013年に世界遺産として登録されました。
- 彼は2010年の夏にスピードボールを注射したことを告白した。
- 私の町は2012年の住みやすさランキングで1位になった。
- 彼は2012年ロンドンオリンピックで聖火ランナーとして走った。
- 2013年3月における日本銀行のマネタリーベースは約20億円だった。
- 男性の育児参加を促進するため、2010年6月、夫婦二人が一緒に育児に勤しむ場合に限り、休暇期間を延長できるパパママ育休プラスの新しい法律が施行された。
- 日本の2013年問題とは、2013年4月2日以降に60歳になる定年退職者であるか無職の男性が、年金受給資格の段階的引き上げの結果、一定期間定収入がなくなることを意味する。
- 我が社の財産所得は回復したものの、まだ2011年第4四半期の水準には達していない。
- この数字は2012年12月31日現在の平均直利である。
- アメリカの特許出願に対する優先審査は2011年5月に施行された。
- 2012年の調査によれば、地域別最低賃金が最も低かったのは高知県だった。
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