OTOとアレイスター・クロウリーとは? わかりやすく解説

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OTOとアレイスター・クロウリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/08 20:25 UTC 版)

東方聖堂騎士団」の記事における「OTOとアレイスター・クロウリー」の解説

ロイスアレイスター・クロウリー接触し1910年には彼にOTO3位階を授与した。そのわずか2年後クロウリーグレート・ブリテンおよびアイルランド責任者就任し、X°位階昇進した。Mysteria Mystica Maxima(M∴M∴M∴)と称されるOTOイギリス支部開設することも彼のであったクロウリーその後ベルリンに赴き、教義文書受け取り、「グノーシス聖域にあるアイルランドアイオナ、全ブリテン諸島至高聖王」という称号授かった。それから1年経たずにクロウリーは、M∴M∴M∴の宣言文書き上げその中でケルナー構想した Academia Masonica(メイソン・アカデミー)の3位階を第七八・九位階配した基本となる10位階制度記述した1913年クロウリーモスクワ滞在中に、団の「一般公開および団内部祝典中心的な儀式」としてグノーシス・ミサ創作した1914年第一次世界大戦勃発して間もなくクロウリーアメリカ渡ったクロウリーセレマOTO体系組み入れることを決意したのはだいたいその時期であり、1915年にはM∴M∴M∴で使用するために用意した儀式群を改定していた。 1917年ロイスOTOの『位階概要』を書いたその中で彼は第三位階を「メイソンリー職人」とし、これに関わる参入儀式を「徒弟職人親方」として「初伝3位階の教理問答およびあらゆる様々なメイソン体系説明を含む、クラフト・メイソンリーにおける全ての知識教示とともにこれを詳述した同文書には、OTO第四位階エノクの聖ロイヤル・アーチとしても知られるものでもあることが記載されている。これはロイスが「スコッチ・メイソン、聖アンドリュー騎士、ロイヤル・アーチ(王宮迫持せりもち〕)」に対応する「スコッチ・メイソンリー」の位階をひとつに集約したものであり、彼の説明によれば古式公認スコティシュ儀礼の諸位階における全知教示」である。 1919年クロウリーミシガン州デトロイトでこのメイソンを基にしたOTO運営しようと試みたその結果OTO儀式あまりにも正統派メイソンリー似ているということで彼はスコティッシュ・ライトの評議会から拒絶された。クロウリー1930年にアーノルド・クルム=ヘラーArnold Krumm-Heller)に宛てた手紙にこう書いている。 しかしながら行われようとしている儀式実際詳細検討する至り、スコティッシュ・ライトの評議会は、いくつかの象徴的表現あまりにもロッジ伝統的なメイソンリー似ているという理由で、これを許容することができなかった。 クロウリーその後初伝3位階の参入儀式書き改めメイソンリー結びつく儀式大半取り除いた。しかし、メイソンリー様々なロイヤル・アーチ儀式関連した形式構造を残す第四位階儀式書き換えなかった。 クロウリーによれば1920年春にテオドール・ロイスは脳卒中患ったロイス側近一人の手紙のやり取りの中で、クロウリーロイス役職にとどまる適格性について疑念呈したロイスクロウリーの関係は悪化し始め1921年11月には2通の怒りの手紙が交わされた。クロウリーロイスに、ロイス退位したクロウリー自身が「団の外なる首領」(the Outer Head of the Order、略称OHO)となることを宣言する伝えたロイス1923年10月28日死去したクロウリーは後の手紙のやり取りで、ロイス後継者自分指名した主張した後世の研究家の中にはローレンス・スーティンのようにクロウリー主張疑問投げかける人もいるが、これを裏付ける証拠否定する証拠もない。そして当時自分後継者であるとの証拠提示してクロウリー反駁する候補者誰もいなかったとされる1925年グランドマスター達の騒然とした協議の中で、クロウリー残ったOTO管理長達によって正式にOHOに選出された。 第二次世界大戦中OTOヨーロッパにおける支部組織破壊されたか、地下潜伏したかのどちらかだった。大戦終わりまで生き残ったOTO団体は、イニシエイト達は別々の国にいたものの、バンクーバーのアガペー・ロッジから派生したカルフォルニアのアガベー・ロッジ No.2けだった参入儀式はほとんど行われていなかった。この時、ドイツクロウリー代理人だったカール・ゲルマーは、ナチ監禁から解放された後渡米したクロウリー1947年死去した後、ゲルマーがOHOの役職継承した

※この「OTOとアレイスター・クロウリー」の解説は、「東方聖堂騎士団」の解説の一部です。
「OTOとアレイスター・クロウリー」を含む「東方聖堂騎士団」の記事については、「東方聖堂騎士団」の概要を参照ください。

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