OTOとアレイスター・クロウリー
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「東方聖堂騎士団」の記事における「OTOとアレイスター・クロウリー」の解説
ロイスはアレイスター・クロウリーと接触し、1910年には彼にOTOの3位階を授与した。そのわずか2年後、クロウリーはグレート・ブリテンおよびアイルランドの責任者に就任し、X°位階に昇進した。Mysteria Mystica Maxima(M∴M∴M∴)と称されるOTOイギリス支部を開設することも彼の任であった。クロウリーはその後、ベルリンに赴き、教義文書を受け取り、「グノーシスの聖域にあるアイルランド、アイオナ、全ブリテン諸島の至高聖王」という称号を授かった。それから1年も経たずにクロウリーは、M∴M∴M∴の宣言文を書き上げ、その中で、ケルナーの構想した Academia Masonica(メイソン・アカデミー)の3位階を第七・八・九位階に配した、基本となる10位階制度を記述した。 1913年、クロウリーはモスクワ滞在中に、団の「一般公開および団内部の祝典の中心的な儀式」としてグノーシス・ミサを創作した。1914年、第一次世界大戦が勃発して間もなくクロウリーはアメリカへ渡った。クロウリーがセレマをOTOの体系に組み入れることを決意したのはだいたいその時期であり、1915年にはM∴M∴M∴で使用するために用意した儀式群を改定していた。 1917年、ロイスはOTOの『位階概要』を書いた。その中で彼は第三位階を「メイソンリーの職人」とし、これに関わる参入儀式を「徒弟、職人、親方」として「初伝3位階の教理問答およびあらゆる様々なメイソン体系の説明を含む、クラフト・メイソンリーにおける全ての知識教示」とともにこれを詳述した。同文書には、OTOの第四位階がエノクの聖ロイヤル・アーチとしても知られるものでもあることが記載されている。これはロイスが「スコッチ・メイソン、聖アンドリューの騎士、ロイヤル・アーチ(王宮の迫持〔せりもち〕)」に対応する「スコッチ・メイソンリー」の位階をひとつに集約したものであり、彼の説明によれば「古式公認スコティシュ儀礼の諸位階における全知識教示」である。 1919年、クロウリーはミシガン州デトロイトでこのメイソンを基にしたOTOを運営しようと試みた。その結果、OTOの儀式はあまりにも正統派のメイソンリーに似ているということで彼はスコティッシュ・ライトの評議会から拒絶された。クロウリーは1930年にアーノルド・クルム=ヘラー(Arnold Krumm-Heller)に宛てた手紙にこう書いている。 しかしながら、行われようとしている儀式の実際の詳細を検討するに至り、スコティッシュ・ライトの評議会は、いくつかの象徴的表現があまりにもロッジの伝統的なメイソンリーと似ているという理由で、これを許容することができなかった。 クロウリーはその後、初伝3位階の参入儀式を書き改め、メイソンリーに結びつく儀式の大半を取り除いた。しかし、メイソンリーの様々なロイヤル・アーチ儀式に関連した形式や構造を残す第四位階の儀式は書き換えなかった。 クロウリーによれば、1920年の春にテオドール・ロイスは脳卒中を患った。ロイスの側近の一人との手紙のやり取りの中で、クロウリーはロイスが役職にとどまる適格性について疑念を呈した。ロイスとクロウリーの関係は悪化し始め、1921年11月には2通の怒りの手紙が交わされた。クロウリーはロイスに、ロイスが退位したらクロウリー自身が「団の外なる首領」(the Outer Head of the Order、略称OHO)となることを宣言すると伝えた。ロイスは1923年10月28日に死去した。クロウリーは後の手紙のやり取りで、ロイスは後継者に自分を指名したと主張した。後世の研究家の中にはローレンス・スーティンのようにクロウリーの主張に疑問を投げかける人もいるが、これを裏付ける証拠も否定する証拠もない。そして当時、自分が後継者であるとの証拠を提示してクロウリーに反駁する候補者は誰もいなかったとされる。1925年、グランドマスター達の騒然とした協議の中で、クロウリーは残ったOTOの管理長達によって正式にOHOに選出された。 第二次世界大戦中、OTOのヨーロッパにおける支部組織は破壊されたか、地下に潜伏したかのどちらかだった。大戦の終わりまで生き残ったOTO団体は、イニシエイト達は別々の国にいたものの、バンクーバーのアガペー・ロッジから派生したカルフォルニアのアガベー・ロッジ No.2 だけだった。参入儀式はほとんど行われていなかった。この時、ドイツのクロウリーの代理人だったカール・ゲルマーは、ナチの監禁から解放された後渡米した。クロウリーが1947年に死去した後、ゲルマーがOHOの役職を継承した。
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