FSFIとIAAFの議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/04 01:31 UTC 版)
「国際女子スポーツ連盟」の記事における「FSFIとIAAFの議論」の解説
FSFIとIAAFが議論を重ねた結果、遂に1928年のアムステルダムオリンピックで女子陸上競技が採用される。これ以後FSFIの運動は採用種目を増やすことに重点が置かれる。 1926年 FSFIとIAAFが会合を開き、女子競技全般について協議。女子競技者と各国陸上競技連盟の基本的原則について合意したほか、IOCに対して2年後のアムステルダム大会とそれ以降の大会に、女子競技として100m・800m・400mリレー・走高跳・円盤投の5種目を採用するよう要望書を作成し、その提出をIAAF会長に具申することが決まった。 8月7日、第8次IAAF総会でオリンピックに女子種目を開設するかどうかを巡って大論議となる。最終的に参加した17カ国の代表のうち、オーストリア・ベルギー・フランス・ドイツ・ギリシャ・オランダ・ノルウェー・ポーランド・南アフリカ・スウェーデン・スイス・アメリカの12カ国は動議に賛成。オーストラリア・フィンランド・イギリス・ハンガリー・アイルランドの5カ国は反対した。 8月27日、第4次FSFI総会がスウェーデンのイェーテボリで行われた。日本を含め17カ国の代表が出席。会長のミリア夫人がIAAFでの論議について報告。女子オリンピック大会について名称を「世界女子大会」とするよう申し入れられたことに対して討議、受け入れることとなった。またアムステルダムオリンピックでの女子種目が5つになったことについて、今後種目を拡大していく方針が確認され、メートル制の採用・投擲競技のルールなども定められた。 8月27日、第2回国際女子競技大会がスウェーデンのイェーテボリで開幕。日本からただ一人出場した人見絹枝が走り幅跳び5m50の世界新記録を含む活躍で個人優勝。 12月28日、IAAF理事会が開かれ8月の総会で示されたアムステルダムオリンピックでの女子5種目の採用について採決。フランス・ドイツ・スウェーデン・チェコスロバキア・ポーランドが賛成。イギリスは「WAAAに加盟している各クラブの満場一致の賛成が得られなかった」ため反対。(8月の総会でのイギリスの意見は「女性の競技者達は男性の組織に支配されるのを好んではいないし、男性の組織も女子の組織を支配するのを好まない」というものだった)その結果、イギリス女子陸上選手のアムステルダムオリンピック不出場が決まった。 1928年 1月8日、FSFIの理事会がアムステルダムで開かれた。今後の方針として、定例のオリンピック大会に女子種目を必ず採用すること、その種目は10種目以上とすること、その内容はFSFIの技術委員会が決めることを採択した。 7月28日、アムステルダムオリンピックが開幕。女子の参加が認められた競技は体操・陸上競技・ダイビング・フェンシング・水泳。女子陸上競技の採用種目は100m、800m、400mリレー、走高跳、円盤投。女子陸上競技最初の金メダルは100mのベティ・ロビンソン(12秒2)。人見絹枝は準決勝で敗れたものの、800mで銀メダルを獲得した。この800mのゴール後、全力を使い果たした選手達がバタバタ倒れこみ運ばれていく姿が報道され、女子陸上競技を採用したIOCに対し体育指導者が抗議するなど世論が沸騰する。 8月6日、第9次IAAF総会が開かれる。1月のFSFI理事会採択について次回オリンピックでの女子競技は継続採用とされたが、10種目への拡大は否決。
※この「FSFIとIAAFの議論」の解説は、「国際女子スポーツ連盟」の解説の一部です。
「FSFIとIAAFの議論」を含む「国際女子スポーツ連盟」の記事については、「国際女子スポーツ連盟」の概要を参照ください。
- FSFIとIAAFの議論のページへのリンク