DNA解析による知見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 08:48 UTC 版)
「日本の高山植物相」の記事における「DNA解析による知見」の解説
藤井 (2008) などによって行なわれた最近のDNA解析によって、日本列島に生育する高山植物について興味深い事実が明らかになってきた。まず注目されたのがヨツバシオガマである、ヨツバシオガマは北はアリューシャン列島北東端から、南は本州中部山地にかけての帯状の地域に広く分布し、日本国内では亜高山帯から高山帯の草地に比較的良く見かける、高山植物としては普通種である。またヨツバシオガマは生育する場所によって大きさや花のつき方など種内の変異が大きく、変種の分類についてこれまでいくつかの説が唱えられてきた。このため各地に自生しているヨツバシオガマの本当の系統関係はどのようになっているのか、そしてもし変異が確認された場合、どのように分化が進んでいったのかを知るため、日本列島各地とアリューシャン列島北東端のウナラスカ島のヨツバシオガマ葉緑体DNAの解析が行なわれた。 DNA解析の結果、ヨツバシオガマの系統は大きく本州中部の高山帯から東北南部の月山までの南方系統と、東北の飯豊山以北アリューシャン列島までの北方系統に分かれた。なお、飯豊山と月山では南北両タイプのヨツバシオガマが確認された。面白いことに東北地方からアリューシャン列島まで広がる北方タイプの方が遥かに生育範囲が広いのにもかかわらず、北方系統内のヨツバシオガマの方が、南方系統内のヨツバシオガマよりも遺伝子変異が有意に小さかった。このことから北方系統のヨツバシオガマは南方系統よりも最近になって分化が進んだことがはっきりした。また北方系統と南方系統との遺伝距離からみて、両系統は60万年前から380万年前に分岐したものと考えられた。 また飯豊山と月山では、南北両タイプのヨツバシオガマが確認されたが、飯豊山、月山とも北方系統のヨツバシオガマは雪田などがある湿潤な環境に成育し、南方系統は山頂付近の風衝草原に分布し、お互いに全く遺伝的交流が見られず、花のつき方や葉の形態なども明確に異なり、別種レベルまで分化が進んでいることが確認された。 これらの事実から日本列島のヨツバシオガマは、東北南部を境に別種レベルまで異なった種に二分されている事実が明らかとなった。また南方の種より生育範囲が遥かに広い北方の種の方が種内の遺伝的変異が小さいことから、北方の種の方が新しい時代に分化したと考えられる事実と併せて、本州中部から東北南部にかけて分布する南方系統のヨツバシオガマは、最終氷期であるヴュルム氷期以前の氷期に日本列島に南下して定着し、その後の間氷期は高山で生き残り、最終氷期のヴュルム氷期になって東北南部まで新たにヨツバシオガマが南下してきたものの、かつての氷期から生き残り続けてきたヨツバシオガマが生育する本州中部にまで南下することは出来ず、その結果、ヨツバシオガマは本州中部から東北南部までの南方系統と、東北南部からアリューシャン列島北東端までの北方系統という、別種と言っても良い差異がある二つの系統に分化したと考えられるようになった。 その後の調査によって、ヨツバシオガマ以外の高山植物の中にも、DNA解析によって本州中部の高山帯と東北、北海道の高山帯とで大きく2系統に分かれる種があることが明らかになってきた。ハクサンイチゲ、ミネズオウ、ミヤマキンバイ、イワウメなどである。それぞれの種で南北の種の境界は多少のずれは見られるが、境界はヨツバシオガマと同じく月山や飯豊山付近であるものが多い。そしてエゾコザクラは本州中部の高山から東北南部の飯豊山まで、青森県の岩木山から北海道の中部山地、そして北海道北部の利尻山と知床半島の羅臼岳から千島列島、カムチャッカ半島、アリューシャン列島に至る3系統に分けられることが明らかになった。各種の系統分岐は9.8万年前から300万年前に発生したと考えられ、やはりそれぞれの種はヨツバシオガマと同じく、南方系統の種は最終氷期のヴュルム氷期以前の氷期などに日本列島へやって来て、現在まで生き残った種であると考えられている。またハイマツについても本州中部、東北南部の高山帯と、東北北部、北海道の高山帯に分布する2系統に分けられることが明らかとなり、本州中部と東北地方南部の高山帯が、最終氷期以前の氷期に日本列島に南下してきた高山植物のレフュジア(避難場所)として機能していたものと考えられている。 日本列島は第三紀鮮新世に入って山地の隆起が始まり、第四紀に入ると隆起が本格化して現在の飛騨山脈、赤石山脈という本州中部の3000メートル級の山を擁する山脈が形成されたと考えられる。これはインド亜大陸がユーラシアプレートに衝突するようになった結果、ユーラシアプレートに東西に割るような力が働くようになり、日本列島周辺ではユーラシアプレートに東方向への力が働くようになった上に、フィリピン海プレートの伊豆・小笠原弧が北上によって伊豆半島などが日本列島に衝突するようになり、日本列島全体として西と南から押す力が働くようになったからであると見られている。また第三紀中新世以降の寒冷化の進行は、第四紀になると寒冷期である氷期と比較的温暖である間氷期が交互にやってくるようになった。第四紀には本州中部にある程度以上の高さを持つ高山帯が形成されており、氷期に南下した高山植物の一部は本州中部の高山帯で生き延びることが出来たものの、山地の高さが足りなかった東北地方や北海道では生き残れずに、最終氷期に北方から南下した種が生育するようになったと考えられている。 一方、イワギキョウ、チシマノキンバイソウ、ツガザクラなどは、DNA解析の結果、南北の2系統に分類されることはなく、日本国内に分布する種は同一系統のものと考えられている。特にツガザクラは本州中部以西の大山、四国の西赤石山などにも分布しているが、北海道から大山、西赤石山に至るまで単一の系統であった。これまでのDNA解析の結果からはヨツバシオガマのように南北2群に分かれる種の方が少数で、ツガザクラのように単一の系統を示すものの方が多く、最終氷期以前に日本列島の高山にやって来た種のうちで一部のみが、本州中部から東北南部の高山帯で生き残ってきた可能性が示唆されている。
※この「DNA解析による知見」の解説は、「日本の高山植物相」の解説の一部です。
「DNA解析による知見」を含む「日本の高山植物相」の記事については、「日本の高山植物相」の概要を参照ください。
- DNA解析による知見のページへのリンク