CIAとの協力関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 05:22 UTC 版)
緒方はCIAの協力者であり、CIAが緒方政権擁立のために積極的な工作を行っていたとする説がある。 有馬哲夫は、CIA初代局長だとされるポール・ブルームが、高校・大学・朝日新聞時代の後輩だった笠信太郎との関係を通して緒方を協力者に引き込んだとしている。また、1952年10月の衆院選で当選し吉田内閣の官房長官に就任した緒方はただちにCIA局員と接触を開始し、日本政界の情報提供及び、辰巳栄一元陸軍中将の情報活動報告を条件として、その見返りに日本版CIA設立を目的とした3万9458ドル(現在価値で約6000万円)の資金援助をCIAから受け取っており、CIAから資金提供を受けて活動した日本で初の政府高官が緒方であったと述べている。 加藤哲郎らは2005年に機密解除された米公文書館の緒方ファイルを分析した。その分析によるとCIAは1955年、当時の鳩山一郎首相がソ連との国交回復に意欲的なこと、社会党再統一をソ連が後押ししていると見たことから、日本の保守勢力の統合を急務と判断。日本版CIA構想で高く評価していた緒方を後継の総理大臣候補として期待し、緒方に「POCAPON」(ポカポン)の暗号名を付け、地方遊説にCIA工作員が同行するなど、政治工作を本格化させた。 1955年2月の第27回衆議院議員総選挙直前、緒方は選挙情勢について「心配しないでほしい」とCIA長官のアレン・ダレスに伝えるように要請し、翌日には「総理大臣になったら、1年後に保守絶対多数の土台を作る。必要なら選挙法改正も行う」とCIA担当者に語った。同年10月から12月にCIAは、ほぼ毎週緒方に接触する「オペレーション・ポカポン」(緒方作戦)を実行し、「反ソ・反鳩山」の旗頭として総理大臣の座に緒方を押し上げようとした。緒方は情報源としても信頼され、提供された日本政府や政界の情報は、ダレスに直接報告された。緒方が同年11月15日の保守合同のときに自由民主党総裁にならず翌1956年1月28日に急逝したことについて、「日本及び米国政府の双方にとって実に不運だ」とCIAは報告している。また、ダレスは緒方の遺族に弔電を打っている。 なお、当時のCIAは秘密組織ではなく、緒方も自覚的なスパイではない、と加藤哲郎は述べている。 2017年に公開されたCIA機密文書(1952年6月18日機密指定)によれば、講和条約発足後に昭和天皇が退位して、緒方がかつて教師役をつとめたことがあり友好関係を持つ明仁皇太子に譲位し、それに伴い吉田茂首相も辞任、後継に緒方が首相に就任する(1953年の下旬から1954年の上旬)との見通しをCIAが持っていたことが明らかになった。しかしその情報源が、緒方に近いグループに属する日本人から聞いたという中国国籍の人物だったため、政局を有利に展開させるための緒方派による情報工作の可能性があるとして、この譲位問題に関する情報価値は未確定であるとCIAに分析されている。
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