CIAのクーデター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 06:03 UTC 版)
「グアテマラ革命」の記事における「CIAのクーデター」の解説
詳細は「PBSUCCESS作戦」を参照 グアテマラ革命中、中央アメリカの他の諸国であるエルサルバドル、ホンジュラス、バティスタ政権下のキューバでは強い反共主義の政府が成立し、アレバロによるカリブ軍団への支援をさらに悪化させたアルベンス政権との間に緊張が高まっていた。UFCの問題に加えてこのこともアメリカ合衆国および新設された中央情報局(CIA)の関心事になっていた。歴史学者リチャード・イマーマンによると、冷戦の間、アメリカ合衆国とCIAは自分に反対する勢力をすべて共産主義者と規定する傾向があった。このため、アレバロが共産党を非合法としたにもかかわらず、アメリカ政府は革命政府に共産党が浸透しており、したがってアメリカにとって危険であると信ずる向きがあった。革命中にアメリカ政府内で配布された報告書やメモはこの確信を高めた。 トルーマン政権下では1944年にグアテマラ政府に対して武器を禁輸した。1951年にはグアテマラが他の国から武器を購入することも妨害した。1952年にトルーマンはアルベンス政権の転覆計画を密かに立てたが、国務長官ディーン・アチソンの説得によって中断された (Operation PBFortune) 。 1952年11月にドワイト・D・アイゼンハワーが大統領に就任すると一層反共的な傾向が強まり、また国務長官ジョン・フォスター・ダレスおよびその弟でCIA長官のアレン・ウェルシュ・ダレスはUFCと密接な利害関係を持っていた。このことがアイゼンハワーをアルベンス政権転覆に向かわせることになった。クーデターを起こす候補者としてCIAが選んだのはカルロス・カスティージョ・アルマスだった。 1954年、アルベンスはチェコスロバキアから武器を輸入した。これは東側諸国からアメリカ州にはじめて武器が輸入された例になった。このことはCIAが最終的にクーデターを決断する原因になった。 1954年6月18日、カスティージョ・アルマスの率いる480人の兵士を載せたトラック隊がホンジュラス国境からグアテマラへ侵入した。CIAは武器を供給したほか、ニカラグアとホンジュラスのキャンプで兵士を訓練した。カスティージョ・アルマス軍自体は規模が小さすぎて脅威とはならなかったが、CIAによるプロパガンダ放送ははるかに大きな影響をもたらした。CIAはグアテマラのパイロットに寝返りを求め、恐れたアルベンスは全空軍を地上待機させた。CIAはまた心理的効果を狙ってアメリカのパイロットを乗せた航空機でグアテマラの都市を爆撃させた。 グアテマラは国際連合に訴えたが、アメリカは安保理事会においてグアテマラの国内問題であるとして事件の調査に対して拒否権を発動した。6月25日にCIAの航空機は首都グアテマラシティを爆撃して政府の主要な石油備蓄基地を破壊した。恐れたアルベンスは軍に武器を農民・労働者に分配することを求めた。軍はこれを拒否し、アルベンスの辞職またはカスティージョ・アルマスとの協議を持つことを要求した。軍の協力を失ったアルベンスは6月27日に辞職した。アメリカ大使ジョン・ピューリフォイは7月7日にエルサルバドルでグアテマラ陸軍とカスティージョ・アルマスの間の会合を開き、これによってカスティージョ・アルマスは軍事評議会の一員とされ、数日後に臨時大統領に就任した。7月13日にアメリカ政府は新政権を承認した。10月はじめに選挙が行われたが、他の政党は参加を禁止され、唯一の候補であるカスティージョ・アルマスが99%の票を得て勝利した。エルサルバドルでの会議の結果として新しい憲法が起草され、革命によってもたらされた進歩的改革の大部分は元に戻された。
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