AIM対ジャンクロウ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 05:38 UTC 版)
「ジャンチタ・イーグルディアー」の記事における「AIM対ジャンクロウ」の解説
1974年10月、ジャンクロウが司法長官に立候補したことで、ジャンチタの身の上を心配した義母のデルフィーンは、部族会議裁判所でジャンクロウを告訴することを決め、AIMのデニス・バンクスにジャンクロウ訴追のための検事を務めて欲しいと依頼した。デニスはこれを快諾し、ローズバッド部族会議裁判所検事としてジャンクロウの告発手続きに入った。 ジャンチタは事件以来、様々な憶測が流れたことに心を痛めて行方をくらましたままで、約8年の間、一度しか保留地に戻っていなかった。一方、デニスは当時の医者や看護婦に聞き取りを行い、医者の調査書を見て、強姦の事実を確信した。 部族会議の親AIM派のピーター・ピッチリンがデニスに協力してくれた。ピーターは1967年の事件発生時に調査を行った部族民の一人だった。保留地のインディアンたちに聞き取りをしてみると、ジャンクロウは保留地顧問弁護士だった頃に、酒を飲んではまったくお構いなしの風情で素っ裸で車を乗り回し、犬を射殺しては楽しんでいたということだった。 AIMはジャンチタの行方を探していたが、アニー・マエ・アクアッシュが、AIMアイオワ支部のあるアイオワ州デモインにいることをつきとめた。アイオワ支部にはAIMメンバーのダグ・ダーラムがいたが、ダグはFBIのスパイではないかと疑われていた男だった。アニーは最初にダグを疑った人物であり、結局、ジャンチタの捜索はダグではなく、アニーが行い、やがて彼女を見つけ出した。デニスは彼女の証言をとりつけて、部族裁判所にジャンクロウを「強姦」、「飲酒運転」、「警察官服務違反」、「背任」、「偽証」の罪で起訴した。マリオ・ゴンザレス判事は、この起訴を認め、ジャンクロウに召喚状を発行した。 ジャンチタとピーター・ピッチリンはスー・フォールズで記者会見をした。ジャンチタが事件についての証言をいくつか行った後、ジャンクロウの顧問弁護士であるジェレミア・マーフィーが質問を行った。 マーフィーは「ビル・ジャンクローは、あなたの保護者ではないのか」と質問したが、ジャンチタはこれを否定し、「ビルはあなたをこの女子寄宿学校に入れませんでしたか、そして、彼はあなたの“保護者”として署名しませんでしたか?」との質問も否定した。「ではなぜ、そう記録されているのですか?」と聞かれると「全くわからない」と答えた。 マーフィーは「保留地の検察官事務所と病院の報告書によると、“性交の形跡が無かった”となっている。これは“強姦”とは言えないのではないか」と質問したが、ジャンチタは「性交があった」と主張した。マーフィーは記者会見の場で、「強姦などなかった」とジャンチタを責め立て、ジャンチタは、「ジャンクロウは部族会議議長を買収したと思う」とつっかえながら答えた。 次にマーフィーは事件の二年後にジャンチタが一度ジャンクロウと会っており、ジャンクロウがジャンチタの泊まったホテルの部屋代を払ったと指摘した。ジャンチタは「ジャンクロウに援助を持ちかけられた、当時離婚途中だったから、でも離婚の助けをジャンクロウに頼んだわけではない」と答えたが、この弁護士は納得しなかった。記者会見の場でのジャンクロウの弁護士の一方的な追及に、ピーター・ピッチリンは怒りをあらわに会見を打ち切った。 10月31日、裁判が始まったが、ジャンクロウは法廷を欠席し、記者会見を開いて、「強姦事件などでっちあげだ、AIMの指導者どもは全員刑務所に放り込むか、6フィート地面の下に葬ってやる」と息巻いた。裁判は被告側欠席のままジャンチタの証言が行われた。ジャンチタは嘘発見器の使用に同意し、「ジャンクロウが家の近くの荒れ地に車を停め、銃で脅しをかけ、ブラウスを引き裂いて強姦した」と、当時の様子を生々しく証言した。 ゴンザレス判事はジャンクロウを呼んだが、被告は現れなかった。連邦保安官が召喚状を届けても、ジャンクロウは出廷しなかった。裁判は結審し、ゴンザレス判事はジャンクロウに「16歳以下の女性との性交」、「強姦目的の暴行」の二つの罪で有罪の判決を下し、逮捕状を出した。 11月2日、有罪判決の三日後に、ジャンクロウはサウスダコタ州司法長官に圧倒的多数で当選し、事件をうやむやのまま、もみ消した。
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