AIMへの協力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/09 13:59 UTC 版)
1960年代に入って、若いインディアン世代が興した民族運動「レッド・パワー」は、インディアン部族とアメリカ連邦政府が結んだ条約に基づくインディアンの権利回復要求として、全米に広がりを見せていた。ことに1868年にミネソタ州のスラムで育った貧しいオジブワ族の若者たちが結成した「アメリカインディアン運動」(AIM)は、デモや占拠など、直接的抗議行動で全米の耳目を集め、急成長していた。 AIM指導部メンバーのデニス・バンクスは、「我々は本来のインディアンを取り戻すべきだ」と提唱し、白人の流儀を捨て、髪を伸ばし、骨の首飾りをつけ、強い民族回帰を打ち出した。さらに「霊的な後ろ盾が運動に不可欠である」として、白人によって禁止されてきた伝統的なインディアンの儀式への参加を企画した。当時、レイムディアーの故郷のスー族の国では、伝統派の呪い師が他の部族よりも多かった。 1969年、ヘンリー・クロウドッグとレオナルド・クロウドッグ親子らとともに、スー族保留地を訪問したAIMのデニス・バンクス、クライド・ベルコートらに、「聖なるパイプの儀式」、「スウェット・ロッジ」、「ユイピの儀式」、「サンダンスの儀式」などを指導する。デニスらは「ピアッシングの誓い」を立て、翌1970年にはこの儀式に挑んでいる。以後、AIMの抗議運動に行動を共にするようになる。 1970年、スー族の女性運動家たちによる、ラシュモア山頂上での占拠抗議に霊的な後見人として参加し、「ラシュモア山」を「クレージー・ホース山」と改名する。「ラシュモア山」と「ブラックヒルズ」は19世紀に「スー族の固有領土である」と「ララミー砦条約」で不可侵保証されたまま、州による不法占拠状態が続いており、この占拠はこれに抗議したものだった。 この年、デニス・バンクスやラッセル・ミーンズ、クライド・ベルコートら「AIM」の中心的人物たちがスー族のサンダンスに参加し、「ピアッシングの儀式」を行った。レイムディアーは彼らのピアッシングを介助している。 1971年6月、条約再確認を合衆国に求めて、デニスやラッセル・ミーンズ、ジョン・トルーデルらとスー族の老若男女が再びラシュモア山を長期占拠し、レイムディアーもこれに協力した。またこの年、ラッセル・ミーンズらと「クレイジー・ホース記念碑」の制作者の元を訪ね、この記念碑について「クレイジー・ホースの精神に反している」として強く批判している。 以後、1960年代から70年代にかけてのインディアンの若者たちによる文化と権利の復興運動、「レッド・パワー」の精神的支柱を担った。レイムディアー達が指導した「サンダンスの儀式」は、インディアンの信教の復活に合わせ、現在では全米のインディアン部族に広まっている。
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