A1R
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/10 09:18 UTC 版)
「カワサキ・250A1サムライ」の記事における「A1R」の解説
A1をベースに生産されたロードレーサー。国内では正規には販売されなかった。1966年7月に日本で250A1が発表され、輸出が開始されるなりアメリカのローカルレースではサーキットを走行する250A1サムライの姿がみられた。当初より国際レースへの参加が計画されており、販売と同時にワークスチームではA1Rの開発が行われていた。1966年のロードレース世界選手権の一戦として10月16日に富士スピードウェイで行われた日本グランプリと同時開催の日本MFJ選手権では金谷秀夫の搭乗するA1Rが優勝こそ逃すものの、全米モーターサイクル協会(英語版)におけるAMA Grand National Championshipの1967年、1968年王者であるゲーリー・ニクソン(英語版)に遅れること11秒39で2位を獲得。ホンダ・CB72やスズキ・T21を制したことで潜在能力の高さを証明した。 富士スピードウェイで活躍したA1Rプロトタイプは10日後の1966年モーターショーへ出品され話題をよんだが、A1Rに搭載されていたクランクシャフト強制潤滑装置がA1に搭載されていた吸入ポートにのみオイルを圧送するスーパールーブ方式と異なるため、国内MFJホモロゲーションが獲得できず、A1Rは輸出用車両として製造が行われた。このモーターショーで発表された内容は圧縮比を7.0から8.5へ上げ、大径キャブレターやレース用チャンバーを搭載し、44ps/9,500rpm、2.92kgf・m/8,500rpmの出力、カウルを装着しタンクは内容量20リットルのアルミニウム製、前後ブレーキは200mmツーリーディング両面ハブ、リヤ180mmというまさにワークスKACレーサー譲りの内容であった。 アメリカではデイトナ250ccクラスでAMA Grand National Championship1963年王者であるディック・マン(英語版)をスポット起用するなどの宣伝活動を行い、出場レースはメカニックの整備不良によりリタイアに終わったものの、性能の高さを広めることには成功し、120台のA1Rを売り上げるといった効果を上げた。
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A1R
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「カワサキ・ロードレーサー」の記事における「A1R」の解説
A1Rは、1966年型ロードスター(roadster)250A1を基に開発された1967年型市販ロードレーサーである(→写真)。 A1Rの仕様(空冷2スト直2、250cc、44ps、5段) A1Rの仕様 エンジン空冷2ストローク ロータリーディスクバルブ直列2気筒 排気量 - 247cc ボア・ストローク - 53 x 56mm 圧縮比 - 8.5 出力 - 44ps/9,500rpm トルク - 2.92kgm/8,500rpm ギアボックス - 5段 車体全長 - 1,915mm、全幅 - 580mm、全高 - 945mm ホイールベース - 1,295mm 車重 - 109kg(カウリング込み) タイヤサイズ - 前輪 2.75-18、後輪 3.00-18 始動方式 - 押しがけ 最高速度 - 210km/h以上
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