3代目 J30型(1988年-1994年)
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「日産・マキシマ」の記事における「3代目 J30型(1988年-1994年)」の解説
1988年10月、J30型にモデルチェンジ。日産はこれを「4ドアスポーツカー」と称した。 このモデルは日本の5ナンバー枠の全幅(1700mm)を上回る最初のモデルであり、3ナンバー専用の大柄なボディによる広い室内、4輪・アンチスキッド・ブレーキ・システム(4WAS)が搭載され、3.0LのV6エンジン(VG30E型)による太いトルクと静粛性により、快適性を追求したファミリーカーを標榜した。日産車の中ではいち早くABSを搭載したモデルでもある。ただし、車両重量は先代モデルよりも減少しており、V6・3.0Lエンジン搭載車種の中では一番軽量である。 前モデルで採用された前輪駆動を踏襲し、トランスミッションは4速オートマチックおよび5速マニュアル(アメリカ仕様のみ)を採用。 上記にあるように初めて日本国内の5ナンバー枠を超え、かつ世界市場で共通のボディーを持つことを強調するため、日本市場においては、ティザーキャンペーンでは陣内孝則、大橋巨泉、倍賞美津子がCM出演。デビュー以降後期型の登場までCM出演者は、4人のアメリカ人タレント(ケント・デリカット、ケント・ギルバート、チャック・ウィルソン、デーブ・スペクター)とされた。 1989年8月にスポーティ仕様のSE (SPORTS EDITION) を追加。その後1991年1月にはSV (SPECIAL VERSION) が追加されSEが廃止される。 1990年に、アメリカの「カー・アンド・ドライバー」誌の「10ベストカー」にマキシマSEが選ばれる。 1991年1月、3000SV追加。 1991年8月に行われたマイナーチェンジで、専用のVE30系DOHCエンジンが搭載され、外観、装備ともやや豪華さと高級感を意識したものに変更される。同年年頭の3000SV追加時に一旦カタログ落ちしたスポーティ仕様のSEが復活。 1992年にアメリカ市場のSEモデルに、V6 3.0L VE30DEエンジンを搭載。なお、もう1つのグレードであるGXEには生産終了時までVG30E型エンジンが搭載された。また、同年、アメリカ仕様の外観が変更され、全高が1,400mmから1,346mmに縮小された。同年に、ローレルの後継車として、ヨーロッパでの販売を開始。エンジンはVG30Eのみを搭載した。 1993年12月に生産終了。在庫対応分のみの販売となる。 1994年8月に販売終了。新車登録台数の累計は2万7214台。その後日本向けはセフィーロA32系と統合され、セフィーロA33系を経てティアナとして販売していたが現在は廃止。マキシマは再び輸出車専用ネーミングに戻った。なお、「J3*」の型式はティアナに受け継がれており、前述の通り、一部地域では日本でいうところの「ティアナ」が「マキシマ」として発売されている。
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3代目 J30型(1988年 - 1994年)
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「日産・マキシマ」の記事における「3代目 J30型(1988年 - 1994年)」の解説
1988年10月、J30型にモデルチェンジ。日産はこれを「4ドアスポーツカー」と称した。 このモデルは日本の5ナンバー枠の全幅(1700mm)を上回る最初のモデルであり、3ナンバー専用の大柄なボディによる広い室内、4輪・アンチスキッド・ブレーキ・システム(4WAS)が搭載され、3.0LのV6エンジン(VG30E型)による太いトルクと静粛性により、快適性を追求したファミリーカーを標榜した。日産車の中ではいち早くABSを搭載したモデルでもある。ただし、車両重量は先代モデルよりも減少しており、V6・3.0Lエンジン搭載車種の中では一番軽量である。 前モデルで採用された前輪駆動を踏襲し、トランスミッションは4速オートマチックおよび5速マニュアル(アメリカ仕様のみ)を採用。 上記にあるように初めて日本国内の5ナンバー枠を超え、かつ世界市場で共通のボディーを持つことを強調するため、日本市場においては、ティザーキャンペーンでは陣内孝則、大橋巨泉、倍賞美津子がCM出演。デビュー以降後期型の登場までCM出演者は、4人のアメリカ人タレント(ケント・デリカット、ケント・ギルバート、チャック・ウィルソン、デーブ・スペクター)とされた。 1989年8月にスポーティ仕様のSE (SPORTS EDITION) を追加。その後1991年1月にはSV (SPECIAL VERSION) が追加されSEが廃止される。 1990年に、アメリカの「カー・アンド・ドライバー」誌の「10ベストカー」にマキシマSEが選ばれる。 1991年1月、3000SV追加。 1991年8月に行われたマイナーチェンジで、専用のVE30系DOHCエンジンが搭載され、外観、装備ともやや豪華さと高級感を意識したものに変更される。同年年頭の3000SV追加時に一旦カタログ落ちしたスポーティ仕様のSEが復活。 1992年にアメリカ市場のSEモデルに、V6 3.0L VE30DEエンジンを搭載。なお、もう1つのグレードであるGXEには生産終了時までVG30E型エンジンが搭載された。また、同年、アメリカ仕様の外観が変更され、全高が1,400mmから1,346mmに縮小された。同年に、ローレルの後継車として、ヨーロッパでの販売を開始。エンジンはVG30Eのみを搭載した。 1993年12月に生産終了。在庫対応分のみの販売となる。 1994年8月に販売終了。新車登録台数の累計は2万7214台。その後日本向けはセフィーロA32系と統合され、セフィーロA33系を経てティアナとして販売していたが現在は廃止。マキシマは再び輸出車専用ネーミングに戻った。なお、「J3*」の型式はティアナに受け継がれており、前述の通り、一部地域では日本でいうところの「ティアナ」が「マキシマ」として発売されている。
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