2006年:ムハンマドの風刺画掲載とは? わかりやすく解説

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2006年:ムハンマドの風刺画掲載

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 05:39 UTC 版)

シャルリー・エブド」の記事における「2006年:ムハンマドの風刺画掲載」の解説

2006年デンマークの日刊紙『ユランズ・ポステン』に掲載されムハンマド風刺画(最も物議かもしたターバン爆弾された風刺画を含む)を転載(なお、この1週間前にフランス・ソワールフランス語版)』も転載している)。「原理主義者お手上げムハマンド (Mahometbordé par les intégristes)」と題したカビュ表紙画には頭を抱えムハンマド描かれ吹き出しには「ばかどもに愛されるはつらいよ (C’est dur d’être aimé par des cons)」と書かれているイスラム原理主義批判していることは明らかだが、宗教批判フランス共和国法律原則違反しない主張する人々がいる一方で預言者ムハマンド信じすべてのイスラム教徒をばかにしているのだと解釈し激しく非難する人々もいた。イスラム団体(仏イスラム組織連合 (UOIF) とグランド・モスケ・ド・パリ)は「宗教理由特定の集団公に侮辱した」として提訴したが、2007年3月第一審では、風刺雑誌におけるよく練られ挑発誇張は、社会批判政治批判の手段となりうるものであり、一定の制約は受けるが表現の自由として守られる、「ライシテおよび多元主義原則とする社会では、信仰尊重宗教批判の自由は同じように重要である。……この表現(「ばかどもに愛されるはつらいよ」)は確かに侮蔑的だが、タイトル(「原理主義者お手上げムハマンド」)に明示的に示される原理主義者」を対象とした表現にすぎず……信者全体侮蔑する性質のものではない。……(他の絵もまた)、イスラム教ではなく自爆テロ風刺したのである。……頭に爆弾載せたムハンマド風刺画については(転載されたものであり)、たとえショック与えるものであっても暴力的な示威行動繰り返され当時の「文脈」において判断されなければならない。(シャルリー・エブド行為は)明らかに威嚇への抵抗と、脅迫および報復受けたデンマークの)ジャーナリストとの団結表わす行為である」として、これを無罪とした。2008年3月第二審でも「イスラム社会全体対象したものではなくイスラムの名においてテロ行為繰り返している一部の者に向けられたものであり……このようなテロリストイスラム教徒混同されるおそれは一切ない」として無罪となった2019年3月27日シャルリー・エブド弁護士であったジョルジュ・キエジュマン(フランス語版)とリシャール・マルカが、グラセ出版社からこの裁判での口頭弁論すべてを書き起こした不敬礼讃』を発表したアルジェリア生まれジャーナリスト映画監督のダニエル・ルコント(フランス語版)は、この裁判についてドキュメンタリー映画『ばかどもに愛されるはつらいよ (C’est dur d’être aimé par des cons)』を制作し第61回カンヌ国際映画祭上映された。 ジョアン・スファールもまたこの裁判題材にした「裁判所書記官 (Greffier)」というデッサン集を作成し、『ジョアン・スファールの手帳 (Les Carnets de Joann Sfar)』の第6巻として出版した『シャルリー・エブド』はこの風刺画掲載事件受けて2006年3月1日イスラム原理主義ファシズムナチズムスターリニズム同様に民主主義を脅かす、新し宗教的全体主義であると非難する12人のマニフェスト (Manifeste des douze)」を掲載した署名者は同紙のフィリップ・ヴァルとカロリーヌ・フレスト(フランス語版)のほか、哲学者小説家ベルナール=アンリ・レヴィサルマン・ラシュディタスリマ・ナスリンであったサルマン・ラシュディイスラム教の預言者ムハンマドの生涯題材にした小説悪魔の詩』が冒瀆にあたるとして当時イランの最高指導者ホメイニ師からファトワ死刑宣告)を下されたことで知られるが、バングラデシュ作家タスリマ・ナスリンイスラム教冒瀆する内容小説著したとしてイスラム過激派からファトワ死刑宣告)を受け、亡命生活送っている。 2006年3月15日にはムハンマド風刺画掲載事件に関わった風刺画家敬意表してフランス文化通信省及び『ル・ポワン』紙の主催による風刺漫画 (dessin de presse) のためのソワレ開催されプランチュカビュ、ウォランスキ、そして若手のサトゥフ、ジュルシャルブリュズ含めて『シャルリー・エブド』風刺画家全員がその功績称えられた。この際、ルノー・ドヌデュー・ド・ヴァーブル(フランス語版)) 文化相は、ジョルジュ・ウォランスキ風刺漫画伝統守り、かつ、これを促進するための使命付与した

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