2006年:ムハンマドの風刺画掲載
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「シャルリー・エブド」の記事における「2006年:ムハンマドの風刺画掲載」の解説
2006年、デンマークの日刊紙『ユランズ・ポステン』に掲載されたムハンマドの風刺画(最も物議をかもしたターバンが爆弾に模された風刺画を含む)を転載(なお、この1週間前に『フランス・ソワール(フランス語版)』も転載している)。「原理主義者にお手上げのムハマンド (Mahomet débordé par les intégristes)」と題したカビュの表紙画には頭を抱えるムハンマドが描かれ、吹き出しには「ばかどもに愛されるのはつらいよ (C’est dur d’être aimé par des cons)」と書かれている。イスラム原理主義を批判していることは明らかだが、宗教批判はフランス共和国の法律や原則に違反しないと主張する人々がいる一方で、預言者ムハマンドを信じるすべてのイスラム教徒をばかにしているのだと解釈し、激しく非難する人々もいた。イスラム団体(仏イスラム組織連合 (UOIF) とグランド・モスケ・ド・パリ)は「宗教を理由に特定の集団を公に侮辱した」として提訴したが、2007年3月の第一審では、風刺雑誌におけるよく練られた挑発や誇張は、社会批判や政治批判の手段となりうるものであり、一定の制約は受けるが表現の自由として守られる、「ライシテおよび多元主義を原則とする社会では、信仰の尊重と宗教批判の自由は同じように重要である。……この表現(「ばかどもに愛されるのはつらいよ」)は確かに侮蔑的だが、タイトル(「原理主義者にお手上げのムハマンド」)に明示的に示される「原理主義者」を対象とした表現にすぎず……信者全体を侮蔑する性質のものではない。……(他の絵もまた)、イスラム教ではなく自爆テロを風刺したものである。……頭に爆弾を載せたムハンマドの風刺画については(転載されたものであり)、たとえショックを与えるものであっても、暴力的な示威行動が繰り返された当時の「文脈」において判断されなければならない。(シャルリー・エブドの行為は)明らかに、威嚇への抵抗と、脅迫および報復を受けた(デンマークの)ジャーナリストとの団結を表わす行為である」として、これを無罪とした。2008年3月の第二審でも「イスラム社会全体を対象にしたものではなく、イスラムの名においてテロ行為を繰り返している一部の者に向けられたものであり……このようなテロリストとイスラム教徒が混同されるおそれは一切ない」として無罪となった。2019年3月27日、シャルリー・エブドの弁護士であったジョルジュ・キエジュマン(フランス語版)とリシャール・マルカが、グラセ出版社からこの裁判での口頭弁論すべてを書き起こした『不敬礼讃』を発表した。 アルジェリア生まれのジャーナリスト・映画監督のダニエル・ルコント(フランス語版)は、この裁判についてドキュメンタリー映画『ばかどもに愛されるのはつらいよ (C’est dur d’être aimé par des cons)』を制作し、第61回カンヌ国際映画祭で上映された。 ジョアン・スファールもまたこの裁判を題材にした「裁判所書記官 (Greffier)」というデッサン集を作成し、『ジョアン・スファールの手帳 (Les Carnets de Joann Sfar)』の第6巻として出版した。 『シャルリー・エブド』はこの風刺画掲載事件を受けて、2006年3月1日、イスラム原理主義はファシズム、ナチズム、スターリニズムと同様に、民主主義を脅かす、新しい宗教的全体主義であると非難する「12人のマニフェスト (Manifeste des douze)」を掲載した。署名者は同紙のフィリップ・ヴァルとカロリーヌ・フレスト(フランス語版)のほか、哲学者・小説家のベルナール=アンリ・レヴィ、サルマン・ラシュディ、タスリマ・ナスリンらであった。サルマン・ラシュディはイスラム教の預言者ムハンマドの生涯を題材にした小説『悪魔の詩』が冒瀆にあたるとして当時のイランの最高指導者ホメイニ師からファトワ(死刑宣告)を下されたことで知られるが、バングラデシュ人作家のタスリマ・ナスリンもイスラム教を冒瀆する内容の小説を著したとしてイスラム過激派からファトワ(死刑宣告)を受け、亡命生活を送っている。 2006年3月15日にはムハンマドの風刺画掲載事件に関わった風刺画家に敬意を表して、フランス文化・通信省及び『ル・ポワン』紙の主催による風刺漫画 (dessin de presse) のためのソワレが開催され、プランチュ、カビュ、ウォランスキ、そして若手のサトゥフ、ジュル、シャルブ、リュズも含めて『シャルリー・エブド』の風刺画家全員がその功績を称えられた。この際、ルノー・ドヌデュー・ド・ヴァーブル(フランス語版)) 文化相は、ジョルジュ・ウォランスキに風刺漫画の伝統を守り、かつ、これを促進するための使命を付与した。
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