2006年:ライアン脱退
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「マルーン5」の記事における「2006年:ライアン脱退」の解説
ドラムス担当のライアンは、野球少年の頃に腕に怪我を負ったことがあったが、2003年後半からツアーが続く生活の中で腕に痛みが生じるようになり、2004年早期にライヴ活動から離脱した。彼は検査を受けたが、「医師にも対処できず、手術をするほどのものでもなく、痛みがひくのをひたすら待つしかない」と『マルーン5 ライヴ!』(Live – Friday the 13th)収録のインタビュー映像で語っていた。バンドはサポート・ドラマーを雇う形でツアーを続行した。ライアンは演奏はできないもののツアーには同行していた。初来日公演である2004年9月29日の東京公演ではアンコールでステージに登場し、アダムがドラムを演奏する中AC/DCの「地獄のハイウェイ」(Highway to Hell)を熱唱した。また『マルーン5 ライヴ!』のDVDには、2005年5月13日のライブのステージ袖で「ハーダー・トゥ・ブリーズ」のコーラスをするライアンの姿が収められている。しかし、ライアンは2006年9月に脱退を表明し、サポート・ドラマーだったマット・フリン(Matt Flynn)が正規メンバーになった。
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