2006年五所川原市長選挙
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「羽柴誠三秀吉」の記事における「2006年五所川原市長選挙」の解説
2005年3月の市長選挙で当選した成田守・新五所川原市長が同年10月、脳梗塞のため入院。雨森康夫・市長職務代理者を置いてしばらく市長職にとどまっていたものの、病状思わしくなく手術が必要となり2006年5月27日に辞職(2013年1月死去)。1年2ヶ月ほどで市長選挙が行われることになり、再び本名で立候補した。しかし自民党・公明党の推薦と大半の市議の支持を受けた平山誠敏・前自民県議が成田守市長後継を掲げて既に出馬表明、また2005年の市長選で独自候補擁立を見送り三上を推した民主党県連の一部勢力は前田清勝・前市議を支持し一騎討ちという情勢になっていたところに遅れて出馬を表明したため独自の戦いとなり、得票を大きく減らし惨敗。供託金没収となった。
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