2度のセザール賞とは? わかりやすく解説

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2度のセザール賞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 05:27 UTC 版)

ロミー・シュナイダー」の記事における「2度のセザール賞」の解説

1974年アンジェイ・ズラウスキー監督『L'important c'est d'aimer』(日本未公開)で金のためにポルノまがいの映画に出ざるをえない落ちぶれた女優演じる。演出について意見の相違からくるズラウスキーとロミー対立などから、撮影現場荒れ荒れたが、この映画ロミー第一回セザール賞主演女優賞獲得文字通りフランス映画界のトップ女優となる。 翌1975年の、ナチ凌辱されたうえ、火炎放射器焼き殺される人妻演じたロベール・アンリコ監督『追想』フランス全土336万人動員しロミー後半生では最大ヒット作となった。この1975年7月ロミーマイエン正式に離婚息子ダーヴィット親権ロミー持った。そして74年夏頃から交際していた個人秘書のダニエル・ビアシーニと1975年12月ベルリン再婚マイエンロミーより14歳年上だったが、ビアシーニは逆に11歳年下だった。再婚ロミー妊娠5ヶ月だったが、その年の大晦日流産してしまう。 1976年、ピエール・グラニエ・ドフェール監督の『限りなく愛に燃えて』でギリシャ舞台革命家との愛を貫こうとする外交官夫人演じた後、ハインリヒ・ベル原作雪に咲いたバラ』(アレクサンドル・ペトロヴィッチ監督日本ではTV放映のみ)に主演ロミードイツ映画への出演は、アラン・ドロンとの出会いによりフランスへ移って以降後半生では、事実上この1本のみである。映画の興行成績批評芳しくなかったが、ロミー1977年ドイツ映画賞ローラ賞)の最優秀女優賞受賞した。これはドイツ受けた初めての、そして唯一の賞だった。 1977年雪に咲いたバラ』の撮影後、再び妊娠していたロミー南仏・ラマチュエルに家を購入出産備える。1977年7月第二子サラ・マグダレーナを出産1978年ロミー&クロード・ソーテ監督コンビ最後作品となったありふれた愛のストーリー』でシングル・マザーとして出産決意するヒロイン演じ2度目セザール賞主演女優賞輝き、またイタリアでダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞受賞ロミー・シュナイダー女優人生頂点であったが、以後この受賞によって責任強く自覚しすぎてしまい、自分追いつめてゆく結果にもなる。この年4月前夫のハリー・マイエンが絶望失意の中、アルコール身を持ち崩し自殺この頃から次第ロミー周囲にも暗い影漂いはじめる。

※この「2度のセザール賞」の解説は、「ロミー・シュナイダー」の解説の一部です。
「2度のセザール賞」を含む「ロミー・シュナイダー」の記事については、「ロミー・シュナイダー」の概要を参照ください。

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