2度のセザール賞
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「ロミー・シュナイダー」の記事における「2度のセザール賞」の解説
1974年、アンジェイ・ズラウスキー監督『L'important c'est d'aimer』(日本未公開)で金のためにポルノまがいの映画に出ざるをえない落ちぶれた女優を演じる。演出についての意見の相違からくるズラウスキーとロミーの対立などから、撮影現場は荒れに荒れたが、この映画でロミーは第一回セザール賞主演女優賞を獲得、文字通りフランス映画界のトップ女優となる。 翌1975年の、ナチに凌辱されたうえ、火炎放射器で焼き殺される人妻を演じたロベール・アンリコ監督『追想』はフランス全土で336万人を動員し、ロミーの後半生では最大のヒット作となった。この1975年7月ロミーとマイエンは正式に離婚。息子ダーヴィットの親権はロミーが持った。そして74年夏頃から交際していた個人秘書のダニエル・ビアシーニと1975年12月にベルリンで再婚。マイエンはロミーより14歳年上だったが、ビアシーニは逆に11歳年下だった。再婚時ロミーは妊娠5ヶ月だったが、その年の大晦日に流産してしまう。 1976年、ピエール・グラニエ・ドフェール監督の『限りなく愛に燃えて』でギリシャを舞台に革命家との愛を貫こうとする外交官夫人を演じた後、ハインリヒ・ベル原作『雪に咲いたバラ』(アレクサンドル・ペトロヴィッチ監督、日本ではTV放映のみ)に主演。ロミーのドイツ映画への出演は、アラン・ドロンとの出会いによりフランスへ移って以降の後半生では、事実上この1本のみである。映画の興行成績や批評は芳しくなかったが、ロミーは1977年のドイツ映画賞(ローラ賞)の最優秀女優賞を受賞した。これはドイツで受けた初めての、そして唯一の賞だった。 1977年『雪に咲いたバラ』の撮影後、再び妊娠していたロミーは南仏・ラマチュエルに家を購入、出産に備える。1977年7月、第二子サラ・マグダレーナを出産。 1978年、ロミー&クロード・ソーテ監督コンビの最後の作品となった『ありふれた愛のストーリー』でシングル・マザーとして出産を決意するヒロインを演じ、2度目のセザール賞主演女優賞に輝き、またイタリアではダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞を受賞。ロミー・シュナイダーの女優人生の頂点であったが、以後この受賞によって責任を強く自覚しすぎてしまい、自分を追いつめてゆく結果にもなる。この年4月、前夫のハリー・マイエンが絶望と失意の中、アルコールと薬で身を持ち崩し自殺。この頃から次第にロミーの周囲にも暗い影が漂いはじめる。
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