1994年の衝突
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「木星への天体衝突」の記事における「1994年の衝突」の解説
詳細は「シューメーカー・レヴィ第9彗星」を参照 1993年3月24日、ユージン・シューメーカー、キャロライン・シューメーカー、ディヴィッド・レヴィらによって発見されたシューメーカー・レヴィ第9彗星は、核が棒状に見える不思議な形状をしていた。この形状は見慣れないものであるため、渡辺和郎・円館金らは当初この天体を銀河と勘違いしたほどであった。その後の軌道解析によって、これらは木星の周回軌道に乗っていることが分かった。惑星に小天体が捕獲される事例の観測はこれが初めてであった。また、木星に捕獲されたのは1960年代後半から1970年代初頭にかけてであり、1992年7月7日には木星からわずか7万キロメートルという、木星の半径よりも小さな距離まで接近していたことも判明した。その際にシューメーカー・レヴィ第9彗星はロッシュ限界を突破したため、潮汐力によって少なくとも20個の破片へと分裂した。これによって核が棒状に見えたのである。破片のうち、最小のものはN核の45メートル、最大はL核の1270メートルであった。 その後、中野主一と村松修よって1994年7月頃に木星に衝突することが予測され、実際に1994年7月16日20時11分のA核の衝突を皮切りとして、同年7月22日8時5分3秒までに、分裂した核が秒速60キロメートルの高速で相次いで木星に衝突した。衝突発生時点での地球の位置から見て、木星の輪郭から数度裏側の位置での出来事であったため、直接観測することは叶わなかったが、衝突時に生じた閃光や、その後木星の自転によって地球側に現れた衝突痕の観測は行えた。最大の衝突痕は同年7月18日7時32分0秒に衝突したG核によるもので、直径1万2千キロメートルという、地球とほぼ同じサイズのダークスポットと、7,500キロメートルにもなるキノコ雲を木星に形成した。このときの爆発力は、地球上の全ての核兵器を1度に爆発させたときに放出されるエネルギーの600倍だった。シューメーカー・レヴィ第9彗星が衝突した際に発生した総合的なエネルギーは、約1.3×1021Jにも達するものであった。 この衝突によって木星大気下層部の物質が上層部へと湧き出ることとなり、二量体の硫黄や二硫化炭素を木星では初めて検出した。また、その量から彗星由来のものとは明らかに異なる大量のアンモニアと硫化水素を検出した。また、二酸化硫黄などの酸素を持つ分子は発見されなかったのは驚きをもって迎えられた。また、大気の上層部に大量の水をもたらしたが、これは木星の成層圏の底にあるコールドトラップを通過できないことから、大気上層部に溜まっている。その量は、衝突の起こった南半球の方が、北半球の2倍から3倍も多いことからも、この水が木星内部あるいは惑星間塵によるものではないことを示している。また、2009年や2010年の小天体の衝突も、温度分布のデータから原因として否定されている。 シューメーカー・レヴィ第9彗星の衝突が起こった当時は、白亜紀の大量絶滅が隕石の衝突によるものであることが判明し、また地球近傍天体の観測技術が向上したことによって毎年30 - 50個の地球近傍天体が発見されていたことにより、地球への天体衝突への対策が真剣に議論されていた時期であった。そしてシューメーカー・レヴィ第9彗星の衝突が起きた直後の第22回国際天文学連合総会において、国際天文学連合と密接な関係を持ちつつ、独立した対策グループであるスペースガード財団が創設されるきっかけとなった。
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