1990年–1998年: 後年
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「タミー・ワイネット」の記事における「1990年–1998年: 後年」の解説
1990年、アルバム『Heart Over Mind 』が出版されたが、ラジオでの人気も下降していった。このアルバムはカントリー・チャートでトップ40にランクインし、1990年および1991年にランディ・トラヴィスとのデュエット『We're Strangers Again 』などいくつかのシングルが出版された。 1991年終盤、イギリスの電子音楽グループKLFと『Justified and Ancient (Stand by the JAMs) 』を収録し、翌年18か国で第1位を獲得し、アメリカの『ビルボード』誌のホット100で第11位を獲得した。この曲によりワイネットは新たなファンを獲得し、『ビルボード』誌のポップ・チャートで彼女にとっての最高位となった。ミュージック・ビデオには「ミス・タミー・ワイネットはカントリー・ミュージックのファースト・レディ」という文だけでなく、音楽業界での彼女の多くの業績が表示される。ワイネットはこのビデオの中で王冠を被り、王座に座っている。なおこのビデオには時々日本語も表示される。 1992年、のちにファースト・レディとなるヒラリー・クリントンは『60 Minutes』のインタビューでワイネットの「スタンド・バイ・ユア・マン」にかけて「私はタミー・ワイネットのように男性のそばに大人しく立っていたり、クッキーを焼いたりする女性とは違う」と語った。しかしクッキーを焼くくだりはワイネットへの例えよりむしろクリントン自身が別の話で語った「家にいてクッキーを焼いたりお茶を飲んだりすることもできたけれども、夫が公職に就く以前に私は専門職に就く決心をしていた」ことから来ているとされる'。 いずれにせよこれが議論の火種となった。ワイネットはクリントンのこの言葉に対し「全て私に当てはまり、あなたの辛辣な意見に不快に思う。あなたは全てのカントリー・ファンや、ホワイト・ハウスに行けない家庭的な人々の気分を害した」と記した。クリントンは多大なる否定的反応に直面し、その後謝罪してワイネットに資金集めイベントでの演奏を依頼し、ワイネットはこれを引き受けた。 1993年、初めてドリー・パートンおよびロレッタ・リンと共にレコーディングを行ない、アルバム『Honky Tonk Angels 』を出版した。シングルのヒットには繋がらなかったが、このアルバムはカントリー・チャートで上位に入り、ポップ・チャートでも第42位にランクインした。同年、このアルバムの収録曲でワンダ・ジャクソンの『Silver Threads and Golden Needles 』のカバー曲がシングルカットされたがカントリー・チャートで惜しくもトップ40に届かなかった。翌1994年、ワイノナ・ジャッド、エルトン・ジョン、ライル・ラヴェット、アーロン・ネヴィル、スモーキー・ロビンソン、スティングなどカントリー、ポップ、ロックンロールのアーティストとのデュエットを収録した『Without Walls 』を出版した。ワイノナ・ジャッドとのデュエット『Girl Thang 』が第64位となったが、このアルバムからは他にいずれの曲もシングルカットされなかった。同年、ゲーム番組『ホイール・オブ・フォーチュン』にセレブリティ・ゲストとして出演した。 1990年代、自身のジュエリー・ラインをデザインおよび販売を開始した。1995年、ワイネットとジョーンズは15年ぶりのデュエット・アルバム『One 』を出版し、同名シングルを輩出し、2人にとって初めてのミュージック・ビデオを製作した。1997年、ジョージア州カミングにあるラニアーランド・ミュージック・パークでの演奏が最後の共演となった。 1996年、ザ・ビーチ・ボーイズのアルバム『Stars and Stripes Vol. 1 』のためにブライアン・ウィルソンと『In My Room 』をデュエットでカバーしたが、『Vol. 2 』に収録されることになったためにこのアルバムには収録されなかった。『Vol. 2 』は出版されることはなかったが、テレビのドキュメンタリー番組『Beach Boys: Nashville Sounds 』でこの演奏が放送された。1997年、ルー・リード作曲の『Perfect Day 』に参加し、イギリスで第1位を獲得した。 『キング・オブ・ザ・ヒル』で主人公ハンク・ヒルの母親ティリー・ヒルの声をワイネットが亡くなるまで務め、ワイネット没後女優K・キャランが後を継いだ。 1996年12月1日放送のシットコム『Married... with Children 』第11シーズンのエピソード『The Juggs Have Left The Building 』に本人役で出演した。
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