1989 – 99年: ルネサンス時代
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「ディズニー・ルネサンス」の記事における「1989 – 99年: ルネサンス時代」の解説
『ロジャー・ラビット』の成功後、ディズニーはかねてから制作を計画していた『人魚姫』のアニメ化をよりブロードウェイ・ミュージカルを感じさせるミュージカルアニメとして実現することを決定した。それに伴い、『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』などのブロードウェイ・ミュージカルに携わった経験を持つ作詞家のハワード・アッシュマンと作曲家のアラン・メンケンをチームに招聘し、劇中歌の作詞作曲を任せた。1989年11月14日に公開された『リトル・マーメイド』は大成功を収め、同週に公開されたブルースの『天国から来たわんちゃん』を大きく上回る興行収入を獲得、最終的に『リトルフット』の最高興行収入のアニメ映画記録を破った。『リトル・マーメイド』は歌曲賞(「アンダー・ザ・シー」)と作曲賞の2つのアカデミー賞を受賞し、「キス・ザ・ガール(英語版)」も歌曲賞にノミネートされた。 翌1990年、『ビアンカの大冒険 ゴールデン・イーグルを救え!』がウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオによる初の「かつての作品の正式な続編」として制作された。主に肯定的な評価を得たものの、『リトル・マーメイド』とほどの成績は得られなかった。 『美女と野獣』が1991年に続いた。興収面では『羊たちの沈黙』に敗れたものの、初めてアカデミー作品賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞の映画部門で作品賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞。アカデミー賞では『リトル・マーメイド』に続いて歌曲賞(「ビューティー・アンド・ザ・ビースト」)と作曲賞を受賞し、さらに録音賞にもノミネートされた他、歌曲賞においては受賞曲の他に2曲がノミネートされた。この成功により、本作は現在もディズニー長編アニメーション作品の中で最高の作品の1つとしてされる。 『アラジン』と『ライオン・キング』がそれぞれ1992年と1994年に続き、どちらもそれぞれの公開年に最高世界興収を獲得した。この2作品については、『アラジン』が保持していた最高興収記録を『ライオン・キング』が更新するという出来事が起こっている。どちらの映画もアカデミー歌曲賞(「ホール・ニュー・ワールド」、「愛を感じて」)と作曲賞を受賞した。『アラジン』はさらに歌曲賞に1曲、録音賞、音響編集賞などにノミネートされ計5つ、『ライオン・キング』は歌曲賞に2曲が追加ノミネートされ計4つのノミネートをそれぞれ受けた。『アラジン』劇中歌の作詞作曲に当たっては、公開の前年に死去していたアッシュマンに代わってティム・ライスがプロジェクトに参加し、メンケンとともに制作した。『ライオン・キング』では、ライスはメンケンに代わって抜擢されたエルトン・ジョン、ハンス・ジマーとの共同制作を行った。 これら数々の成功のおかげで、ディズニーの経営陣は長編アニメーション作品に十分な資金を配分するようになり、それに伴いアニメーション部門の拠点は10年間グレンデールの簡易拠点に追いやられていた状態から取り戻すことができた。240,000平方フィートの建物がロバート・スターンによってデザインされ、1994年12月16日にバーバンクにあるディズニーのメインスタジオの通りを挟んだ向かいに開館した。 これに前後して、ディズニーはアニメーションメソッドを変化させ、1993年には元ディズニー・アニメーターのティム・バートンを起用して、ディズニー初の全編ストップモーションアニメ映画『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』を制作。1995年にはピクサー・アニメーション・スタジオと共同で全世界初のフルCGアニメ映画『トイ・ストーリー』を制作している。 1995年公開の『ポカホンタス』は3億4600万ドルの世界興収を得て、アカデミー歌曲賞(「カラー・オブ・ザ・ウィンド(英語版))と作曲賞を受賞したにも関わらず、公開時には賛否両論の批評がなされた。翌年公開の『ノートルダムの鐘』はディズニー初の予算1億ドル超のアニメーション映画であり、『ポカホンタス』に比べ公開時に好評価を受けていたが、興収面では3億2500万ドルと下回った。楽曲面では両作ともに、作曲担当に復帰したメンケンとスティーヴン・シュワルツが作詞を担当。次いで1997年に公開された『ヘラクレス』は2億5200万ドル、すなわち『ノートルダムの鐘』より7300万ドル少ない興収を記録。これを受け、批評家からは『ポカホンタス』『ノートルダムの鐘』よりも肯定的な評価を得ていたにも関わらず、当時の各メディアではディズニー・アニメーションが低調気味になっていることをおおっぴらに示唆する論調が活発であった。また、この頃大きく台頭したピクサーやドリームワークス・アニメーションなどのライバル企業との競争が取り沙汰されることにもなった。 1998年に公開された『ムーラン』では、音楽担当が一新され、スコアはジェリー・ゴールドスミス、挿入歌はマシュー・ワイルダーとデビッド・ジッペルが担当した。また、3億400万ドルの世界興収を稼いだことで、ディズニー作品の商業的かつ批判的な地位を一定維持することとなった。そして、翌1999年には『ターザン』が公開され、フィル・コリンズ歌唱の主題歌「ユール・ビー・イン・マイ・ハート(英語版)」で『ポカホンタス』の「カラー・オブ・ザ・ウィンド」以来となるアカデミー歌曲賞を受賞。『ライオン・キング』以降のルネサンス期の作品では最も商業的に成功した作品となり、4億4800万ドルの興行収入を得て、批評家の間でも肯定的な批評が急速に広まった。本作は1億3000万ドルという当時最高額の予算による作品であり、その多くは「ディープキャンバス」として知られているコンピューターアシスト背景絵画技術といったふんだんに用いられた最新技術に充てられた。さらにルネサンス期の作品の中では、バーバンクの新拠点で制作作業の全行程が行われた初の作品であった。なお、『ターザン』以降に公開された作品の成績などを受け、一般的には『ターザン』公開をもってディズニー・ルネサンスの終わりとされる
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