1989-1996年
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「南オセチア紛争」の記事における「1989-1996年」の解説
1989年11月23日 ズヴィアド・ガムサフルディアは、自分の支持者(3万~6万人)を引き連れ、ツヒンヴァリで示威行進を行った。平和的な集会だと宣伝されたが、数百人の武装兵が随行し、負傷者400人、死者6人を出した。 1991年1月5日 ツヒンヴァリに警官隊とガムサフルディアの親衛隊が投入され、オセチア人に対する大規模な弾圧を始めた。オセチア人は、自警団を結成してこれに対抗し、ツヒンヴァリからグルジア人を追い出すことに成功した。 1992年7月14日 ロシア・グルジア・オセチア混成の平和維持軍が導入され武装闘争は終結。 1992年1月19日 南オセチア共和国の独立に関する住民投票が行われ、92%以上がこれに賛成した。 1992年2月 ツヒンヴァリ周辺にグルジアの砲兵と装甲車両が配備され、砲撃を開始した。 1992年3月8日 エドゥアルド・シェワルナゼがグルジアの指導者となるも南オセチアへの政策は変わらなかった。 1992年6月24日 ロシア、グルジア、南北オセチア4者による紛争調停の原則に関する協定が署名される。 1992年7月14日 平和維持軍が導入された。 1993年11月2日 最高会議は憲法を採択。 1995年5月5日 国歌を制定。 1996年11月10日 南オセチア最初の大統領選挙が行われた。
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