1980年代前半・現在の原型ができ、盛り返しの兆し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 19:02 UTC 版)
「高速バス」の記事における「1980年代前半・現在の原型ができ、盛り返しの兆し」の解説
1980年代に入ると、旧国鉄の運賃・料金値上げや夜行列車の削減・廃止が相次ぎ、さらにサービス水準も旧態依然のままであったため、鉄道輸送網が次第に競争力を下げてゆき、高速バスの運賃面での優位性が際立ってきた。また路線の運営面でもより合理的なシステムが生まれた。そのため次第に高速バス路線が増加の傾向を見せる様になった。 クローズドドアシステム(出発地周辺で乗車のみ、目的地周辺で降車のみ取り扱い、途中の経路地では乗降を行わない)導入により、大阪〜新見間(阪急バス)に久々の高速バス路線新設が行われた。 中国自動車道では、他に日本交通・全但バス・国鉄中国地方自動車局(現・中国ジェイアールバス)で高速道への乗せ替えが積極的に行われた。 1983年の大阪〜福岡間夜行高速バス「ムーンライト号」では発着地の事業者(阪急バス・西日本鉄道)による共同運行方式及び運賃収入のプール精算制(均等配分)といった現在の高速バスの原型となる施策が始められた。 さらに東北新幹線接続の「ヨーデル号」、大阪〜三次間といった都市間昼行路線の新設も進んだ。 特に1985年(昭和60年)に開業した「東京 - 新潟線」は、併走する上越新幹線等の乗客を奪うくらいの路線に成長し、高速バス開業ブームの火付け役の一つとなった。またこの時期は国鉄で夜行列車が削減されていた時代でもあったが、東京池袋〜新潟線に対抗して、企画ものの列車として全車指定の臨時快速『ムーンライト』を運転し、安売り切符を発売していった。これが現在の『ムーンライトえちご』である。 この頃から、国鉄は並行する鉄道路線への影響を理由として、危機感を抱くようになる。新宿〜駒ケ根・飯田間の高速バス路線開設に関する「中央高速バス問題」は、国鉄が公式に路線開設反対を唱えたということで、それが最初に表面化した路線であった。 その一方、新宿〜駒ヶ根・飯田間の高速バスは、赤字続きだったバス会社が運行開始の翌年度に単年度黒字を計上することになり、高速バスがバス会社にとって重要な位置付けになることが明らかになってくる。 九州地方では九州自動車道の延伸と共に西日本鉄道、九州産業交通を先導に次々と高速バスを開設し、国鉄の特急列車を圧倒する。また長崎自動車道の延伸が進んだころに長崎方面への便を出していた九州急行バス『九州号』も一般道経由から今の高速道路経由へと移行していった。 この時期までの座席は、昼行・夜行とも4列座席ばかりだった。
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