1945-1967年 戦後期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/16 04:17 UTC 版)
「イギリス・フォード」の記事における「1945-1967年 戦後期」の解説
第二次世界大戦後、民間用車両の生産が再開された。1946年にダゲナム工場でベビー・フォード系の「アングリア」戦後第1号車がラインオフ、同年ダゲナムでは115,000台の車が生産された。さらにエセックスのウォルサムストウ(Walthamstow 後のLangley スラウ)とバッキンガムシャー(後のバークシャー)工場も獲得した。 当初、戦前型の小改良に留まる保守的モデルを生産再開して需要に応えたが、1950年には中級車クラスで、合理性に富んだ3ボックススタイルボディに加え、画期的なマクファーソン・ストラット式サスペンションを世界で初めて前輪独立懸架に採用した完全戦後型の兄弟モデルとして4気筒車「コンサル」、6気筒車「ゼファー」を発表、英国市場にショックを与えた。続いて1954年には、小型大衆車クラスの「アングリア」「プリフェクト」にも同様な新型ボディ・シャーシを与え、BMCやルーツ・グループなどの民族系メーカー各社に先行して近代化のペースを上げた。 以後もイギリス・フォードは、アメリカ本国の新技術や、デトロイトでも試行段階にある技術を進んで採り入れる進歩性を見せ、保守設計に偏りがちなイギリスの民族系メーカー各社を、技術やデザインでリードし続けた。その傾向は欧州フォード移行後も引き継がれ、後輪駆動など基本は中庸ではあるが、民族系各車より一歩先を行く設計やデザインを採用し、車格の割に競合車よりボディが大柄で買い得な車種を投入する手法で、イギリス国内市場で確固たる地位を築いた。 1953年にはボディメーカーのブリッグス('Briggs Motor Bodies')を買収、さらにドンカスター、 サウサンプトン、 クロイドン、 ロムフォードにも工場用地を獲得し、この時点でイギリス・フォードは40,000人を直接雇用していた。 1962年、リヴァプール近くのヘイルウッドにアングリアの生産工場を開設する。この工場は2000年に最後のエスコートを送り出して閉鎖され、翌2001年にジャガー・Xタイプを生産する工場に転用された。 1964年バシルドンにトラクターの工場が開設され、翌1965年にはスウォンジーにシャシ・コンポーネンツとアクスルを生産する工場も開設された。
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