初雪【ハツユキ】(草花類)
※登録写真はありません | 登録番号 | 第10124号 |
登録年月日 | 2002年 3月 25日 | |
農林水産植物の種類 | カーネーション | |
登録品種の名称及びその読み | 初雪 よみ:ハツユキ |
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品種登録の有効期限 | 20 年 | |
育成者権の消滅日 | 2002年 3月 25日 | |
品種登録者の名称 | 鰐部力 | |
品種登録者の住所 | 愛知県知多郡武豊町字二ッ峯106番地94 | |
登録品種の育成をした者の氏名 | 鰐部力 | |
登録品種の植物体の特性の概要 | ||
この品種は、育成者所有の育成系統に「細雪」を交配して育成されたものであり、花はピンク白の地色に鮮紅色の条が入る垂咲で、中輪の1花茎当たりの花数がやや少、花柄当たりの最多花数が少の切花向きの品種である。草姿は中間、開花時草丈は高、節数は中である。茎の長径はやや細、硬さは剛、折れの難易は難、色は灰緑、ろう質の有無及び立茎数は中、1茎の側芽及び側枝数はやや少、側枝の着生位置は主に中部、節間長はやや長、最長節間の位置は第4節である。葉全体の形は披針形、先端部の形は鋭くとがる、葉巻き程度は巻く、最大葉長はやや長、葉幅はかなり狭、葉色は濃緑、ろう質は中である。つぼみの形は倒卵形、大きさは中、花の重ねは八重、上から見た花形は円形、側面から見た花形は垂咲、花径は中、地色はピンク白(JHS カラーチャート0101)、複色模様色は鮮紅(同0107)、色彩模様は条、花弁の波状程度は波状、鋸歯の深さはかなり浅、数は極少、花弁の長さ及び幅は中、数はやや少、ほう葉の形はⅠ型、数は4枚、長さは中、がくの形は円柱形、がく筒の色は緑、がくの太さは中、長さはやや長、1花茎当たりの花数はやや少、花柄当たりの最多花数は少、花の香りは中である。開花習性は四季咲き、早晩性は中生、がく割れの難易性は難である。「カリフォルニア キャプティバ」と比較して、葉巻き程度が強いこと、花弁鋸歯の数が少ないこと等で区別性が認められる。 | ||
登録品種の育成の経過の概要 | ||
この品種は、平成4年に育成者の温室(愛知県知多郡武豊町)において、育成者所有の育成系統に「細雪」を交配し、その実生の中から選抜、以後、増殖を行いながら特性の調査を継続し、10年にその特性が安定していることを確認して育成を完了したものである。 |
ハツユキ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/04 04:36 UTC 版)
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ハツユキ | |
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欧字表記 | Hatsuyuki |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 黒鹿毛 |
生誕 | 1962年4月8日 |
死没 | 不明(1984年10月用途変更) |
父 | ソロナウェー |
母 | ボジヨー |
母の父 | トサミドリ |
生国 | ![]() 北海道浦河郡浦河町 |
生産者 | 大北牧場 |
馬主 | 玉島幸子 ホースマンクラブ |
調教師 | 中村広(東京) |
競走成績 | |
生涯成績 | 8戦5勝 |
獲得賞金 | 988万円 |
勝ち鞍 | 桜花賞(1965年) |
ハツユキ(1962年4月8日 - ?)は、日本中央競馬会に所属していた競走馬・繁殖牝馬。1965年の桜花賞を優勝。
馬齢は2000年まで使用されていた旧表記(数え年)を用いる。
経歴
父ソロナウェーはアイルランド生産の競走馬・種牡馬で、競走馬時代にはアイリッシュ2000ギニーなどを制し、種牡馬としては1959年に日本に輸出された後も多くの活躍馬を輩出し、1966年には日本リーディングサイアーとなるなど1960年代の日本競馬を代表する種牡馬の一頭となった。
母父トサミドリは1949年に皐月賞と菊花賞のクラシック二冠を制し、後に種牡馬として数々の活躍馬を出し殿堂入りも果たす。
戦績
1964年(3歳)11月に東京でデビューし人気に応えると、暮れの中山では3歳牝馬Sで2着、ひいらぎ賞(80万下)3着と好走。1965年(4歳)は加賀武見とコンビを組み、1月の福寿賞(100万下)→2月のシクラメンSと連勝。桜花賞を目指して西下し、前哨戦のオープンは1番人気に支持されるも、伊藤雄二が騎乗して4着。本番では阪神3歳Sを含む5連勝のエイトクラウンが1番人気、同じソロナウェー産駒で阪神3歳Sは3着のベロナが2番人気、ハツユキは3番人気であった。鞍上の加賀はレース直前に厩務員から「フケ(発情)の兆候が見られている。走らないかも」と言われていたが、それを逆手に取って「発情した牝馬は馬群に近づきやすい習性がある。それなら逃げてやろう」と考え、見事鮮やかな逃げ切り勝ちに導いた。エイトクラウンは4着、ベロナは12着と大敗を喫した。関東に戻ると、不良馬場で行われたトライアルの4歳牝馬特別も人気に応えて快勝するが、人気が予想された優駿牝馬は回避しそのまま引退。
優駿牝馬で加賀はベロナに騎乗し、逃げ切って制覇し、史上初の違う馬で牝馬二冠を獲得。いずれも逃げ切りで勝っており、「逃げの加賀」を全国のファンに強く印象付けた。
同年のクラシックはソロナウェー産駒の当たり年で、桜花賞馬ハツユキ、オークス馬ベロナ、ダービー馬キーストンを送り出した。
引退後
引退後は1966年に繁殖入りし、13頭の産駒を送り出した。産駒にはオープン勝ちを含めて中央で7勝を挙げたヤマキチカラ[1]がいるが、他に目立った活躍馬はいない。子孫の活躍馬では曾孫ヤマノフレアリングが道営記念、栄冠賞に勝ち[2]、フレアリングマズル(マイルグランプリなど)[3]やフレアリングアロー(ニューイヤーカップ)[4]、フレアリングルーラ(ヤングチャレンジカップ)[5]などを産んでいる。
競走成績
- 1964年(3戦1勝)
- 2着 - 3歳牝馬ステークス
- 3着 - ひいらぎ賞
- 1965年(5戦4勝)
- 1着 - 桜花賞、4歳牝馬特別、シクラメンステークス、福寿賞
同名馬
同名馬のうち、1954年産まれのプリメロ産駒の牡馬は、1957年の大井盃(現羽田盃)と春の鞍(現東京ダービー)を制している[6]。
脚注
- ^ “ヤマキチカラ|JBISサーチ(JBIS-Search)”. 日本軽種馬協会. 2021年5月24日閲覧。
- ^ “ヤマノフレアリング|JBISサーチ(JBIS-Search)”. 日本軽種馬協会. 2021年8月16日閲覧。
- ^ “フレアリングマズル|JBISサーチ(JBIS-Search)”. 日本軽種馬協会. 2021年8月16日閲覧。
- ^ “フレアリングアロー|JBISサーチ(JBIS-Search)”. 日本軽種馬協会. 2021年8月16日閲覧。
- ^ “フレアリングルーラ|JBISサーチ(JBIS-Search)”. 日本軽種馬協会. 2021年8月16日閲覧。
- ^ “ハツユキ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2021年5月4日閲覧。
外部リンク
- ハツユキのページへのリンク