黒又川分水案とは? わかりやすく解説

黒又川分水案

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 08:58 UTC 版)

黒又川第一ダム」の記事における「黒又川分水案」の解説

当時内閣総理大臣である吉田茂只見川開発早期促進命題にしており、尖鋭化する新潟県福島県対立解消するために1952年昭和27年)に発足した電源開発と共に仲裁乗り出し両者妥協点を探るべく調整図ったこの中で登場したのが黒又川第一第二ダム中心とした「黒又川分水案」である。これは電源開発只見川開発され電力利用する東北電力東京電力共同検討し策定された案であり、すなわち奥只見ダム黒又川源流部にトンネル通じて分水し、第一第二ダム貯水して農繁期には必要な分を放流することで灌漑用水確保する。これにより新潟県主張ある程度取り入れ本流案」に基づく開発直ち進め考えであった1953年昭和28年6月23日経済審議庁長官官邸において新潟県福島県両者より意見聴取を行うべく第3回電源開発調整審議会開催された。政府側から戸塚九一郎建設大臣岡野清豪経済審議庁長官経済界からは藤山愛一郎日本商工会議所会頭ら8人の委員出席福島県側からは大竹作摩福島県知事ら県幹部、そして新潟県側からは岡田県知事ら県幹部のほか新潟県選出衆議院議員である田中角栄稲葉修出席只見川上流部電力開発担当する電源開発からは高碕達之助総裁出席して意見述べた。この会合岡田知事政府が「本流案」へ一方的に肩入れし「分流案」を一顧だにしない姿勢激しく非難会合後の報道機関へのインタビューで『思う存分意見ぶちまけてやった』と不満を露にした。しかし「黒又川分水案」については一旦保留として新潟県議会などに諮ることとした。 県議会は「黒又川分水案」についても断固拒否姿勢求めたが、新潟県内経済界始め各方面から『下手に拒否すれば分水自体が潰れかねず、折角の機会永久に逃しかねない。ここは大局的な見地認めるべきだ』との意見強く出るようになった。県は案について詳細な検討行った結果思いのほか合理的で、理想に近い案であったこともあり承諾方向に傾いていった。そして同年7月25日岡田・大両知事首相官邸招かれて「黒又川分水案」についての最終決断吉田首相より迫られた。この席で岡田知事即座に分水案」を承諾大竹知事福島県議会反対抑えて承諾する至った本音としては両県とも自らの案を100パーセント実施したかったが、差し迫った電力危機回避するためには只見特定地域総合開発計画の要である奥只見田子倉の両発電所建設早急に進め必要にあるという意識があり、これ以上停滞を望まなかったことが背景にあった新潟福島両県が「黒又川分水案」を承諾したことで政府直ち計画遂行電源開発要望し8月5日には総理府告示155号として「只見川電源開発事業」の実施官報掲示された。この中で只見田子倉ダムと共に黒又川分水正式な事業として計画加わり根幹施設である黒又川第一ダム着手されのである

※この「黒又川分水案」の解説は、「黒又川第一ダム」の解説の一部です。
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