鷲
★1a.鷲が子供をさらう。
『ギリシア神話』(アポロドロス)第3巻第12章 ゼウスは鷲を用いて美少年ガニュメデスをさらい、天上で神々の酒注ぎとした〔*『変身物語』(オヴィディウス)巻10では、ユピテル(ゼウス)自身が鷲に姿を変えてガニュメデスをさらった、と記す〕。
『半七捕物帳』(岡本綺堂)「広重と河獺」 ある朝、旗本屋敷の屋根の上に3~4歳の女児の死体が発見される。詮議を命ぜられた半七は、絵草紙屋の店先で、広重の描いた鷲の絵に偶然目をとめ、事件の真相を察する。それは前夜、母親とはぐれた女児を鷲がさらい、屋根に落としたのだった。
*巨人国の大鷲が、小人同然のガリヴァーをさらう→〔巨人〕2の『ガリヴァー旅行記』(スウィフト)第2篇。
*鷹やフクロウなど、小さな鳥が子供をさらったという嘘→〔難題問答〕3の『寓話』(ラ・フォンテーヌ)巻9-1・『ジャータカ』第218話。
*鷲などの鳥が子供をさらい、木の上に置く→〔兄妹〕3の『みつけ鳥』(グリム)KHM51。
『南総里見八犬伝』第7輯巻之4第68回・巻之6第72回・第9輯巻之51第180回下 里見義成の娘浜路姫は幼時に鷲にさらわれ、安房から甲斐へ連れて来られて、四六城木工作(よろぎむくさく)に養われる。14年後、犬塚信乃が木工作宅に止宿した折、信乃の許嫁浜路の亡霊が浜路姫に乗り移り、結縁を請う。後に浜路姫は父母と再会し、信乃と結婚する。
『日本霊異記』上-9 鷲が、但馬国の山里の女児をさらって、丹後国まで連れて行く。女児はそこで養われて育ち、8年後、たまたま所用で丹後を訪れた父親に発見される。
良弁(ろうべん)杉の伝説 良弁僧正は2歳の時鷲にさらわれ、奈良の二月堂下の大杉まで運ばれた。良弁は義渕僧正に養育され、成長後は東大寺建立に力を尽くしたが、その杉を父母と思い、毎日参拝した。さらわれてから30年後に、良弁と母は杉の木の下で再会した(奈良市東大寺)。
『良弁(ろうべん)杉由来』「志賀の里の段」 近江国志賀の里で、水無瀬左近の未亡人渚の方と2歳の若君光丸が茶摘みに興じているところへ、大鷲が舞い降り、光丸をさらう。渚の方は悲しみに心乱れ、物狂いとなって、諸方をさまよい歩く。30年の後に、渚の方は我が子と再会する→〔再会(母子)〕1。
*伊予の国の長者・橘朝臣清政の若君・玉王は幼い時、鷲にさらわれ阿波の国まで連れて行かれるが、後に父母と再会する→〔出生〕2aの『神道集』巻6-33「三島大明神の事」。
『遠野物語拾遺』138 遠野の町に「宮」という家があり、土地で最も古い家だと伝えられている。昔、この家の元祖は猟に出かけて鷲にさらわれ、はるか南の国の、とある川岸の大木の枝まで連れて行かれた。元祖は鷲を刺し殺して岩上に落ち、水際まで降りた。折り良く一群の鮭が上って来たので、その鮭の背に乗って川を渡り、家に帰ることができた。
★2.鷲の恩返し。
『イソップ寓話集』(岩波文庫版)296「農夫と助けられた鷲」 農夫が、罠にかかった鷲を放してやる。後、崩れそうな壁の下に農夫が座っていた時、鷲が農夫の帽子を奪い去る。農夫は後を追い、鷲は帽子を落とす。農夫が帽子を拾って戻ると、壁が崩れ落ちていた〔*→〔鼠〕5の『太平広記』巻440所引『宣室志』・〔胸騒ぎ〕の『日本霊異記』中-20に類似する。*→〔山〕6aの『子不語』巻8-186のように、美女のおかげで命拾いするという物語もある〕。
『イソップ寓話集』(岩波文庫版)395「蛇と鷲」 農夫が、蛇にからめ取られた鷲を見て、蛇のとぐろをほどいて鷲を解き放った。蛇は恨んで、農夫の盃に毒を注いだ。農夫が知らずに飲もうとした時、鷲が舞い降りて、盃をはたき落した〔*→〔誤解による殺害〕1の『千一夜物語』「シンディバード王の鷹」に類似〕。
『イソップ寓話集』(岩波文庫版)276「射られた鷲」 ある人が、弓で鷲を射た。矢は鷲の肉に突きささった。鷲は矢筈の羽を見て、「自分の羽で殺されるとは、踏んだり蹴ったりだ」と言った。
鷲と同じ種類の言葉
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