鶏姦罪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 07:34 UTC 版)
ついには明治5年(1872年)11月、「鶏姦律条例」が発令され、鶏姦(アナルセックス)を禁止する規定が設けられた。翌明治6年(1873年)7月10日施行の「改定律例」(改正犯姦律 犯姦条例)第266条では「鶏姦罪」として規定し直され、違反した者は懲役刑とされた。鶏姦罪の名称は中国・清朝の「大清律例(英語版、中国語版)」の「㚻姦(けいかん)罪」が参考にされ、「けい」の字には音が同じ「鶏」が当てられた。 「改定律例」第266条によれば、平民が鶏姦を犯した場合は懲役90日とされたが、華族または士族が鶏姦を犯した場合は本人の名誉の問題も絡んでくることを考慮された。和姦ではなく強姦した者には、懲役10年が科された。未遂の場合は、それぞれの量刑を一段階軽減した。鶏姦された者が15歳以下であった場合は処罰の対象にはならないと明記されていたが、16歳以上の者に関する特段の定めはなかった。 この規定は7年後の明治13年(1880年)制定の旧刑法には盛り込まれず、明治15年(1882年)1月1日の同法施行をもって消滅したが、日本で男色行為の一部が刑事罰の対象とされた唯一の時期である。 鶏姦条例ができたきっかけは、明治5年白川県(現熊本県)より司法省に「県内の学生が男色をするが勉学の妨げなどになり、どのように処罰すればよいか」との問い合わせがあったことだったといわれ、南九州で盛んに行われていた学生間の男色行為を抑えるためだった。但し男色(同性愛)自体は禁止されたわけではなく、薩摩藩などでは引き続き行われており、事実上はザル法化していた。また実際に適用された事例も青少年間ではなく、刑務所における囚人同士や女装者が関わるものがほとんどで、鶏姦された側、即ち「女」として男根を受け入れた側が罰せられている。このように男色行為でも姦通される側が犯罪視され、姦通する側はほとんど逸脱とは意識されておらず、社会的にも許容されていたとされる。 鶏姦罪が廃止されたのは、旧刑法草案に関わったフランス法学者ボアソナードが「ナポレオン法典」にソドミー規定がないことや、合意に基づくものは違法ではないということを助言したことが背景にあり、司法省も同意したためだった。
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