幕末・明治時代以降
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「日本における同性愛」の記事における「幕末・明治時代以降」の解説
明治期〜昭和初期にかけての同性愛に関する文献一覧は詳細欄参照。 1858年(安政五年)11月16日 - 西郷吉之助(西郷隆盛)と僧・月照が、日向国にむかう途中に錦江湾に入水し、同性心中を図る。西郷のみ一命を取り留める。 1864年(元治元年)5月20日 - 近藤勇の中島次郎兵衛に宛てた書簡に新選組内で「しきりに男色が流行している」と記される。 1880年 - 1872年の「鶏姦律条例」及び、翌年の「改定律例」では男性同士の肛門性交(鶏姦)が犯罪とされたが(後者の第266条では懲役刑)、1880年制定の旧刑法には引き継がれず、1882年1月1日の同法施行で鶏姦罪は消滅した。 1892年 - 『明教新誌』(1月6日)に「変成男子」掲載。 1893年 - 『風俗画報』(9月,10月,11月,12月号など)に「男色-笹の屋」連載。 大正年間・昭和太平洋戦争前期 - 東京に発展場ができていたとみられ、江戸川乱歩『一寸法師』(1927年/昭和2年)には深夜の浅草公園に屯すゲイの描写が生々しく描かれている。 1913年『中央公論』(286号,1月1日発売)に田村俊子「同性の恋」(女性同性愛)掲載。 クラフト・エビング『性の精神病理』(1886年)が、日本で『変態性欲心理』というタイトルで出版。同性愛について異常と見なさない立場から最初に医学的に言及。乱歩などの日本の同性愛研究に影響。 1914年4月 - 『同性の愛』(野元一二)文明社 1914年7月 - 『中央公論』に「男優の女と女優の男」など女装などに関する記事掲載。 1920年 - 『日本及日本人』(9月20日)「男性間に於ける同性愛」(田中香涯)掲載。 1921年 -『婦人公論』「女が手術を受けて男になった話」(10月8日)掲載。 1923年4月 -『性』「性感と異性化」(同性愛、異性装)、「ウールニングとウラニスムス」(同性愛)。 1925年4月8日 - 菊池寛が古今東西の男色に関する博識を披露した手紙を坂田行雄宛に送る。 昭和初年 - ゲイバー、ゲイクラブが出現。 1930年 - 『犯罪科学』に岩田準一が「本朝男色考」(昭和5-6年)連載。南方熊楠、江戸川乱歩、稲垣足穂らと共に男色研究に足跡。 1931年 - 『同性愛の研究』(守田有秋、人生創造社)。
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