音楽院の教師としての活動とは? わかりやすく解説

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音楽院の教師としての活動(1703年から1713年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:52 UTC 版)

アントニオ・ヴィヴァルディ」の記事における「音楽院の教師としての活動(1703年から1713年)」の解説

在俗司祭となった9月1346年設立という由緒あるピエタ慈善院付属音楽院ヴァイオリン教師として教鞭執り始めたキリスト教会が行慈善事業一環として捨て子養育目的建てられ慈善院は、才能のある女子に対して音楽教育も盛んで、ヴェネツィア共和国にはピエタをはじめ、インクラービリ、メンディカンティ、オスペダレット4つがあり、附属音楽院併設されていた。また1704年にはヴィオラ・アッリングレーゼ(Viola all'inglese)(フランス語版)(「イングランドヴィオラの意味Lyra viol (英語版)と推測される諸説ある。ヴィオラ・ダ・ガンバ同じく脚で支え弦楽器ヴィオラ・ダモーレのように共鳴弦を持つ)も教えている。1703年以降から1740年にかけて、教師として、また作曲家として器楽曲から声楽にいたる幅広い分野作品提供し、そのリハーサル行なう雇用関係断続的に持ったヴィヴァルディ1708年11月から、イタリア出版社アントニオ・ボルトリのカタログヴァイオリン・ソナタ集の出版広告掲載していたが、まだ献呈先は存在しなかった。その後1708年12月29日に、デンマーク=ノルウェーの王フレデリク4世ヴェネツィア上陸するフレデリク4世翌日午前11時にはピエタ訪問して宗教音楽会に臨みガスパリーニ代役としてヴィヴァルディ指揮する娘たちの歌と演奏聴いたフレデリク4世ヴェネツィア各所催される音楽界舞踏会臨席し、ピエタにもたびたび足を運んだヴィヴァルディとボルトリはこの機を逃さず空欄だった献呈先にフレデリク4世の名を記し国王帰国する1709年3月6日までに、12曲すべて出版してフレデリク4世手渡した出版急いだためか、この時のボルトリ社発行出版譜には作品番号付されておらず、1710年頃にアムステルダム出版社エティエンヌ・ロジェから『ヴァイオリン・ソナタ作品2』として再販されている。しかしフレデリク4世帰国する前の1709年2月24日年末会議ヴェネツィア共和国の暦はローマ暦名残3月から1年が始まる)で、僅差投票の結果ヴィヴァルディピエタ音楽院との契約更新されなかった。 その後1711年9月ヴィヴァルディピエタ音楽院全会一致投票復帰する同年に「作品3」として『調和の霊感』が、アムステルダム出版社エティエンヌ・ロジェから出版されベストセラーとなる。作品3はトスカーナ大公コジモ3世継嗣フェルディナンド・デ・メディチへ「フェルディナンド3世」の敬称献呈されている。この称号フェルディナンド大公位を継いだ際に名乗るはずのものであったが、父コジモ3世長命保ったため、実際に用いられることはなかった。 1713年に、ピエタ音楽院ヴィヴァルディ先任音楽指導者の「マエストロ・ディ・コーロ(Maestro di Coro)」だったフランチェスコ・ガスパリーニFrancesco Gasparini,1668-1727)が長期休暇取ってローマに赴き、そのまま辞職する後任が決まるまで、音楽院ヴィヴァルディ宗教曲作曲依頼する同年オペラ処女作離宮オットーネ(Ottone in Villa)』(RV 729)がヴィチェンツァ劇場初演される。 この時期基本的に音楽院音楽教師という立場いながら作曲家としてのヴィヴァルディの名はヨーロッパ中に広がり始めていた。これは、生命力ほとばしり感じさせる瑞々しい曲想のみならず合奏協奏曲から更に進んだ独奏協奏曲スタイル確立していったためと考えられる同時代ドイツ人音楽家ヨハン・ゼバスティアン・バッハ少なくとも筆写譜の形でヴィヴァルディ楽譜入手していた。各地公演されオペラ次第彼の名を高めて行った

※この「音楽院の教師としての活動(1703年から1713年)」の解説は、「アントニオ・ヴィヴァルディ」の解説の一部です。
「音楽院の教師としての活動(1703年から1713年)」を含む「アントニオ・ヴィヴァルディ」の記事については、「アントニオ・ヴィヴァルディ」の概要を参照ください。

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