音楽院時代とローマ賞とは? わかりやすく解説

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音楽院時代とローマ賞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 18:20 UTC 版)

エクトル・ベルリオーズ」の記事における「音楽院時代とローマ賞」の解説

ジャン=フランソワ・ル・シュウールの下で音楽学び2年後1824年最初本格的な作品である『荘厳ミサ曲』(H.20)を作曲1825年パリのサン・ロッシュ寺院楽長マッソンによって初演されたが、未熟であるがために失敗するこの後作品大幅に加筆修正行い同年にオーギュスタン・ドゥ・ポンスに借金をして再演され、成功を収める。またこの頃からローマ賞挑戦することに意欲掻き立てている。 1827年からローマ賞挑戦し同年7月応募作としてカンタータオルフェウスの死』(H.25)を作曲する。しかし選外に終わる。その後も以下のように毎年応募する。また9月当時熱狂的に話題呼んでいたイギリスから来たシェイクスピア劇団女優ハリエット・スミッソン出演する舞台見て衝撃を受ける。このことが2人運命的な出会いであった1828年3月音楽院開かれたフランソワ・アブネック指揮による第1回パリ音楽院管弦楽団定期演奏会ベートーヴェンの交響曲第3番英雄』を、また同年第5番運命』を聴いて大きな啓示を受ける。6月2度目となるローマ賞への挑戦として『エルミニー(フランス語版)』(H.29)を作曲惜しくも2票の差で第2位となる。 1829年ゲーテの『ファウスト』ジェラール・ド・ネルヴァル仏語訳による)を読んで感銘を受け、このテキスト用いてファウストからの8つ情景』(H.33,Op.1)を作曲する出版の際に「作品1」と番号付ける。7月3度目挑戦となるローマ賞応募作として、カンタータクレオパトラの死フランス語版)』を作曲するが、劇的過激な内容から審査員たちの顰蹙を買い、受賞を果たすことが出来ずに終わる。 1830年2月に『幻想交響曲』を作曲開始し6月完成するまた、この頃ピアニストのマリー・モークと出会って恋愛関係となる。4月4度目挑戦としてカンタータサルダナパールの死』を作曲する4度目にしてようやく念願となるローマ賞受賞する12月5日に『幻想交響曲』がアブネック指揮初演され大成功収めて世間脚光を浴び、マリー・モークと婚約に至る。そして受賞者としてローマへ留学する同時に留学終えた結婚するという約束交える1831年ローマ到着した直後婚約者マリー・モークの母親から手紙届きピアノ製作者イグナツ・プレイエル長男カミーユ・プレイエル(英語版)と結婚するという報告であった。この報告を知るや否や、再び訪れた破局ベルリオーズ落胆するどころか逆にひどく怒り露わにしたといわれる『回想録』には、マリーとその母とカミーユ・プレイエルを殺して自分自殺しようと、ベルリオーズ婦人洋服店急いで行き女装するために婦人服一式を買い、ピストル自殺用の毒薬持参してパリへ向かう馬車乗りそのままローマ出発したのだった。しかしイタリアサルデーニャ王国)とフランス国境付近でふと我に返り直後思い留まって正気取り戻したであった。 この出来事の後、ベルリオーズニース当時サルデーニャ王国領でフランス国境の外)で1ヶ月ほど滞在して療養することとなり、回復後ローマへ戻って行く。そして正式にモークとの婚約解消された。この療養中に『幻想交響曲』の続編と言える抒情的な独白劇『レリオ、あるいは生への復帰』の構想始めており、ローマ戻った頃には全体構想終え作曲取り組んだのち7月初旬完成している。

※この「音楽院時代とローマ賞」の解説は、「エクトル・ベルリオーズ」の解説の一部です。
「音楽院時代とローマ賞」を含む「エクトル・ベルリオーズ」の記事については、「エクトル・ベルリオーズ」の概要を参照ください。

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