『回想録』とは? わかりやすく解説

『回想録』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 03:27 UTC 版)

タージョッサルタネ」の記事における「『回想録』」の解説

ペルシア語で「記憶」を意味する ḵāterāt (ハーテラート)と題された、タージョッサルタネの『回想録』は、イラン立憲革命後の1914年から、第一次世界大戦勃発した1918年までの間に書き進められた。1969年にはじめて、部分的に公開され(Kāẓemiya 1969)、センセーショナルなその内容虚実めぐって論争巻き起こった1982年校訂本出版され(eds. Etteḥādiya, Saʿdvandiān 1982)、1993年にその英語訳出版された(tr. Amanat 1993):371-372。この英語訳から日本語へも翻訳されている(タージ・アッサルタネ『ペルシア王宮物語 ハレム育った少女』アッバース・アマーナト編、田隅恒夫平凡社1998年):371-372。 Kāẓemiya 1969出版直後例えば、文筆家のエブラーヒーム・サファーイー(ペルシア語版)は『回想録』の内容捏造であるとしか考えられない評しEbrāhim Ṣafāʾi, “Ḵāterāt-e Tāj-al-Salṭana,” Rāhnamā-ye ketāb 12/11-12, 1348 Š/1970, pp. 682-84.)、校訂本出版後でも、その英語訳版の翻訳者アッバース・アマーナトは、『回想録』内部相互に矛盾した内容記載されている点を指摘している。とはいえ矛盾した内容は時が経ってから思い出しながら書いたからであろうし、その矛盾程度も、内容虚実に関して特に議論提起されていないタージョッサルタネ以外の人が書いたガージャール朝期回想録における矛盾程度とさほど変わるものではないとされるまた、そもそも後宮内部詳細内側かつづった回想録がこれを除いて他にないため、比較検討して記述正確さ確かめることが難しい。前出のアマーナトは、『回想録』がたぐいまれ自己開示であり、著者自分さらけ出すのに相当な努力をしているとし、文体には著者傾倒したヨーロッパロマン主義による影響認められる点を指摘している。

※この「『回想録』」の解説は、「タージョッサルタネ」の解説の一部です。
「『回想録』」を含む「タージョッサルタネ」の記事については、「タージョッサルタネ」の概要を参照ください。

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