『回想録』
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ペルシア語で「記憶」を意味する ḵāterāt (ハーテラート)と題された、タージョッサルタネの『回想録』は、イラン立憲革命後の1914年から、第一次世界大戦が勃発した1918年までの間に書き進められた。1969年にはじめて、部分的に公開され(Kāẓemiya 1969)、センセーショナルなその内容の虚実をめぐって論争が巻き起こった。1982年に校訂本が出版され(eds. Etteḥādiya, Saʿdvandiān 1982)、1993年にその英語訳も出版された(tr. Amanat 1993):371-372。この英語訳から日本語へも翻訳されている(タージ・アッサルタネ『ペルシア王宮物語 ハレムに育った少女』アッバース・アマーナト編、田隅恒夫訳 平凡社、1998年):371-372。 Kāẓemiya 1969 の出版直後、例えば、文筆家のエブラーヒーム・サファーイー(ペルシア語版)は『回想録』の内容が捏造であるとしか考えられないと評し(Ebrāhim Ṣafāʾi, “Ḵāterāt-e Tāj-al-Salṭana,” Rāhnamā-ye ketāb 12/11-12, 1348 Š/1970, pp. 682-84.)、校訂本出版後でも、その英語訳版の翻訳者アッバース・アマーナトは、『回想録』内部で相互に矛盾した内容が記載されている点を指摘している。とはいえ、矛盾した内容は時が経ってから思い出しながら書いたからであろうし、その矛盾の程度も、内容の虚実に関して特に議論が提起されていない、タージョッサルタネ以外の人が書いたガージャール朝期の回想録における矛盾の程度とさほど変わるものではないとされる。また、そもそも後宮内部の詳細を内側からつづった回想録がこれを除いて他にないため、比較検討して記述の正確さを確かめることが難しい。前出のアマーナトは、『回想録』がたぐいまれな自己開示であり、著者が自分をさらけ出すのに相当な努力をしているとし、文体には著者が傾倒したヨーロッパのロマン主義による影響が認められる点を指摘している。
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