音楽遍歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/03 03:32 UTC 版)
UKロック、ポップスから強い影響を受けており、打ち込みを多用したエレクトロポップスはもっとも得意とするジャンルである。プロとして活動を始めてからは、UKものにこだわらず多種多様なジャンルの音楽を聴く熱心な音楽マニアで、プライベートでは自宅にCDとレコード5000枚を所有するコレクターでもあり、自宅寝室、ベッドルーム、洗面所など「いたるところに音響機器を設置している」「旅行先ではCDレコードショップめぐりを最優先するため同行者から嫌がられる」などとインタビューで語ったこともある。 彼が長年好きなアーティストとして挙げ続けているのは、デビッド・ボウイとペットショップボーイズ。1997年にデビッド・ボウイがリリースした『Earthling』では、香港版に特別収録された『刹那天地 A Feeling Moment』(「Seven Years In Tibet」北京語バージョン)の仮歌を担当した。香港で公演する著名な海外ミュージシャンのライブにはほとんど顔を見せるほか、ライブ目当てに海外へ出かけたというニュースも度々報じられている。またマドンナの熱心なファンでもあり、アメリカでのライブ鑑賞時に公式グッズをほぼ全種類購入したという武勇伝もある。
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音楽遍歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 14:23 UTC 版)
小学校より母親の影響でYMOにはまり、中学校では、JPOPを聞きあさる。津軽三味線は何か一つ文化部に入ろうと友達と一緒に入ったのがきっかけで、初め竹山流・島村舟山に師事し高橋竹山流(弾き三味線)を習得、その後 村上三絃堂で内弟子であった堀尾由謡・康磨親子に 叩き三味線を師事。津軽三味線奏者岡田修のオリジナル曲「火の鳥」に深い感銘を受け、津軽三味線の道に入る。「黒石よされ節」を弾くために、大学の図書館で取り寄せた小山貢民謡集3集のカセットテープの「秋田荷方節」を聞いて小山流入門を志すようになる。 広島市立大学在学中に、ストリートでの演奏を開始、プロを志すようになる。途中、沖縄好きだった友人が三線を弾いているのを見て三線を初め、広島三線クラブに通う。この頃から弾き歌いを始める。その後声楽家だった祖父の勧めもあり、三味線を音楽大学で学ぶ為、作陽音楽大学短期大学部箏曲コース(箏奏者は三味線が必須であることから)か、 大阪芸術大学長唄三味線科か迷うが、広島から近いという地の利もあり、箏を学び始める。入学前 作陽音楽大学では、学校の課題をやらず現代曲「斜影」に開眼し、卒業演奏では「斜影」を演奏。 作陽音楽大学短期大学部卒業後は、東京の実家に戻り、 東京芸術大学長唄三味線専攻を志し東音・小島直文に師事するも挫折、一旦は不遇の時期を迎える。 現在は小山流師範として活躍中
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