雷撃戦闘機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 04:15 UTC 版)
「G.55 (航空機)」の記事における「雷撃戦闘機」の解説
イタリア王立空軍はしばしば、三発機のSIAI-Marchetti SM.79スパルヴィエーロ中型爆撃機などの雷撃機で航空魚雷を使用した。戦争の初期にはある程度の成功を収め、地中海攻防戦(英語版)にかなりの損失をもたらした。1942年末までに、旧式化したスパルヴィエーロは継続して増強される連合軍の戦闘機と対空防御に直面し、イタリア軍参謀は強力なエンジンを備えた単座の重戦闘機で魚雷攻撃を行うという、後に「雷撃戦闘機」と呼ばれるアイデアを模索した。イタリアの海岸近くに拠点を置くこのような航空機は、300~400 kmの行動半径を有し、680 kg魚雷(SM.79が搭載していたものの、より短くコンパクトなタイプ)を搭載して比較的高速で飛行し、敵の戦闘機を回避したり、同等の条件で戦闘することができるものだった。 G.55を適合させるために熟考が重ねられた一方で、フィアットは930 kW(1,250馬力)のフィアット A.83 R.C24/52星形エンジンを搭載した別の設計の魚雷を搭載するにより適したG.57の設計を開始した。その後、G.57計画が中止となった後でもANRはSM.79に代わる航空機を必要とし続け、ANRの技術者はチェンタウロを雷撃用に修正する作業を引き受けた。 量産型G.55(軍シリアル番号 MM.91086)が、920 kg、5.46 mの長い魚雷を運べるように改造された。通常はコックピット真下の胴体下面に単一のユニットとして取り付けられているエンジン冷却水のラジエーターは2分割されて主翼付け根の下に移され(Bf 109が採用した配置と同様)、魚雷搭載のための2つのラックが取り付けられる90 cmの場所を空けることができた。尾輪の支柱は、魚雷の尾部安定板が設置しないように延長されるとともに強化された緩衝器が取り付けられ、延長された支柱による空気抵抗の増加を抑えるためにカバーが供えられた。G.55/Sは、武装としてG.55/Iと同じ3門のMG 151/20と2丁のブレダSAFAT機関銃を搭載していた。 G.55/Sと言う識別記号が与えられたこの航空機は、1944年8月に初飛行し、Template:仮リンク|アドリアーノ・マンテッリの操縦で1945年1月にテストに成功した。扱いにくい外部搭載物があるのにも関わらず性能は良好で、操縦性も許容範囲内だった。ANRは量産前サンプルとして10機を発注し、量産シリーズとして100機を発注したが、戦争の終結によって計画は中止となった。G.55/Sの原型機は戦後まで残り、第1シリーズの標準状態に組みなおされた後で、新たに編成されたイタリア共和国空軍(AMI)に配属された最初のG.55となった。
※この「雷撃戦闘機」の解説は、「G.55 (航空機)」の解説の一部です。
「雷撃戦闘機」を含む「G.55 (航空機)」の記事については、「G.55 (航空機)」の概要を参照ください。
- 雷撃戦闘機のページへのリンク