阿波鉄道 - 安田保善社による経営とは? わかりやすく解説

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阿波鉄道 - 安田保善社による経営

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 09:33 UTC 版)

阿波電気軌道」の記事における「阿波鉄道 - 安田保善社による経営」の解説

このころ阿波電気軌道は、鉄道財団抵当借入金40万円支払手形50万円という多額負債かかえていた。一方融資をしていた関西銀行(旧関西貯蓄銀行)は経営危機により安田保善社救済であって、この鉄道経営にもかかわるようになる1925年大正14年8月株主総会において優先株913,000円の増資をおうこなうこととし経営陣一新安田より関西銀行派遣されていた池田真秸が社長、ほかに3名が役員となった11月池田四国銀行頭取安田善兵衛常務取締役就任したので社長兼任のまま高知移り代わりに吉原政智支配人として派遣された。1926年大正15年5月阿波鉄道社名変更した。 1925年大正14年12月から列車運行大きく減便された。中原 - 古川間を1日2往復へ、上板線も鍛冶屋原まで9往復から6往復へ、撫養 - 中原間及び連絡船16往復から11往復削減した。これにより石炭消費量以前より1/2以下の1日当たり1700斤に節減することができた。一方県から木製橋脚腐朽レール亀裂橋台沈下など7つ改善命令出されていたため、鉄製架け替えレール交換さらに車両修繕した。そして工事中止となっていた撫養から岡崎港までの工事再開することとした。しかし、岡崎港まで用地買収難のため建設できず、1928年昭和3年1月18日 まで0.97km延長し撫養駅2代現在の鳴門駅)を設置初代撫養駅ゑびす前駅改称した。そして撫養駅より岡崎桟橋までの乗合自動車線(岡崎線)の運行開始中原-古川間を定期運行にし、古川駅より完成したばかりの古川橋渡り徳島駅前を経由して新町橋に至る乗合自動車線(古川線)の運行開始した。これは撫養町より岡崎徳島駅前までの路線運行していた撫養自動車対抗するためであった。これより撫養川発着する船舶との連絡が便利となり利用客増加した夏期には新町橋から津田沖洲海水浴場まで2隻の巡航船旅客輸送しさらに2隻を借りて運行するなど好評博した。 ところが1929年昭和4年)に下板自動車徳島-加賀須野川内村)の乗合自動車路線開業させその後大津村まで延長したため、旅客争奪戦はいっそう激しくなり運賃値下げ競争おこなわれた。そのうえ不況の中であり阿波鉄道経営悪化していった。1929年には工事中断し竣功期限延期申請をしていた徳島市出来島町-加茂村間、撫養-阿波岡崎間、松島村-市場町間が敷設免許取り消された。1930年昭和5年6月徳島市営バス古川-徳島駅間のバス路線古川線)を譲りしばらくして岡崎線廃止した。そして赤字補填していた政府補助金1933年昭和8年2月10年間の満期迎えることになった

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