開発の理念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 11:02 UTC 版)
大正時代に、渋沢栄一が中心となって、イギリスで提唱された田園都市構想をモデルとした。その理念は、都市の外側を田園や緑地帯で囲み、企業も誘致し、交通渋滞や公害のない、住宅環境に優れた都市を建設するというものである。田園調布の駅前広場を中心に放射状に延びる街路は、当時のヨーロッパの都市に見られた特徴をそのまま取り入れた名残である。 日本の田園都市建設の参考とするため、渋沢秀雄が田園都市視察のため1919年(大正8年)8月から欧米11カ国を訪問した。その時の回想記によると エベネザー・ハワードがロンドン郊外に創設した田園都市レッチワースよりも、サンフランシスコ郊外の高級住宅地セントフランシス・ウッドの街並を田園都市建設の参考にしているようである。 また、分譲当時の「田園都市案内パンフレット」の中の理想的住宅地によると、日本の田園都市を建設するにあたり、次のように述べている。 「田園都市という言葉はその起源から考えてみますと、今日わが国で用いられている意味とは少しその趣を異にしているように思われます。本社の如きも田園都市株式会社という商号を用いていて居りますものの、英国では田園都市と銘打って始めた事業の内容に比べますとだいぶ相違した点もありますから、ここに簡略ながら田園都市ということについて一言申し述べようと存じます」 「イギリスの田園都市では工業地域の工場へ通勤する勤労者の住宅地を主眼にするのに反して、わが田園都市に於いては東京市という大工場へ通勤される知識階級の住宅地を眼目といたします結果、いきおい生活程度の高い瀟洒な郊外新住宅地の建設を目指しております」 「イギリスの田園都市は工業地域、農業地域も一体に作りますが、日本の田園都市は住宅のみの建設に限定し、田園を冠する限り、その住宅の建設される地域はつぎの要件を満たすことが必要であります」 理念 土地高燥にして大気清純なること。 地質良好にして樹木多きこと。 面積少なくとも十万坪(約33万平米)を有すること。 一時間以内に都会の中心地に到着し得べき交通機関を有すること。 電信、電話、電灯、ガス、水道などの完整させること。 病院、学校、倶楽部等の設備あること。 消費組合の如き社会的施設も有すること。 「上記の如き住宅地を単に郊外市と呼び捨てるのはあまりにも物足りなく思います。天然と文明、田園と都市の長所を結合せる意味に於いて同じく田園都市と呼ぶのもあながち不当ではあるまいと思います。そしてわが社の田園都市はすなわちこの種類のものなのであります」 つまり、ロンドンのレッチワースは住宅街に隣接して工業地域を作り、住宅街の周囲を農業地域が取り囲み緑地帯にしたのに対し、日本の田園都市ではそれらを造らず、「街全体を庭園都市(ガーデンシティー)とすることを建設の目的とした」のである。実際に田園調布の西側に半円のエトワール型の道路を取り入れ、採算を度外視し、道路面積だけでも街全体の18パーセントに達しており、また広場と公園を整備し、良好な住環境を提供している。 また「田園都市案内パンフレット」には、理想的な住宅地である田園都市において住宅建設をする上で守るべき条件として以下の基準を挙げている。 建築の基準 他の迷惑となる如き建物を建造せざること。 障壁はこれを設くる場合にも瀟洒典雅のものたらしむること。 建物は三階建て以下とすること。 建物敷地は宅地の五割以下とすること。 建築線と道路との間隔は道路幅員の二分の一以上とすること。 住宅の工費は坪当たり百二、三十円以上にすること。 これらの「理念」及び「建築の基準」は、現在の田園調布においても「一般社団法人田園調布会」及び大田区都市計画による「田園調布憲章」「環境保全についての申し合わせ」及び「大田区田園調布地区地区計画」などにより受け継がれている。
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