広場と公園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 03:10 UTC 版)
マルクト広場は中核市区の中心をなしている。この広場は、南を旧市庁舎および聖ヴァルブルガ首席司祭座教会、東を巡礼バシリカ、西と北を現代のオフィスビルが囲んでいる。西と北には、かつては市民の邸宅があった。また、自動車の通行が禁止されているこの広場の南端はマルクト通りに接している。 ゲンゼフェーデ広場は、市壁の外側のメンスター門(市門)前に位置している。かつては家畜の放牧地、特にガチョウの飼育地であった。現在は、大きなイベントや大規模な巡礼の礼拝の会場となっている。1953年には、ケルンのヨーゼフ・フリングス(ドイツ語版、英語版)枢機卿、アデナウアー連邦首相、推定5万人の故郷を逐われた人々が参加した、いわゆる「シレジアの巡礼」が行われた。 ヴェルルのクアパルクは、第二次世界大戦までヴェルルにあった湯治場(クア (Kur) は温泉を意味する)に由来する。クアパルクはヴェルルの塩泉の湯治客の散策に利用された。現在はヴェルル市の「緑の肺」(都市部の緑地帯を比喩的に指す)となっている。新たに造られた枝条架装置を備えたこの公園は、その他に採塩に用いられた木製の構造物や復元された製塩小屋がある。製塩小屋の中では、ヴェルルで何世紀にもわたって営まれてきた製塩について説明がなされている。かつてヴェルルの製塩業の権利所有者で独占的に製塩を行っていた人々は世襲製塩業者 (ドイツ語: Erbsälzer) と呼ばれ、1432年の文書に基づき、1708年に皇帝から帝国貴族階級に叙せられた。製塩の権利と貴族階級は世襲であった。14世紀末には、世襲製塩業者は48家族あった。この製塩業者数は16世紀末には8家族にまで減少した。このうち、リリエン家とパーペン家は現在も存続しているが、それ以外は男性後継者がなく断絶した。
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