中核市区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 05:01 UTC 版)
アルツェナウ城では、夏には城砦演劇祭、アルツェナウクラシックス、秋にはバイエルン放送の「フランケンの音楽の魔法」の一部としてフランケンの音楽の日が開催されている。 アルツェナウ住民は、バロック様式の教区教会である聖ユスティヌス教会の伝統を834年まで遡ると考えている。この頃マインツ大司教オトガールが聖ユスティヌスの遺骨をローマからもたらした。遺骨はフランクフルト=ヘーヒストのユスティヌス教会に納められたが、1298年に聖アルバン・フォア・マインツ修道院に移され、聖遺物の一部はゼーリゲンシュタットのアインハルト=バシリカ近くの修道院にも分けられた。この修道院のあるベネディクト会士が、現在の墓地の場所にあったヴィルムンツハイム教区教会の担当となったことから横のつながりが生まれ、アルツェナウで聖ユスティヌスが崇められるようになった。破壊されたヴィルムンツハイムの教会で現存しているのは1本の柱頭だけである。マルクト広場のこのバロック教会が建設されたのは1758年である。 1860年から1862年に建設された市庁舎は、学校として計画されたが、その後バイエルン王国のベツィルクスアムトの庁舎とされた。1974年からブンター砂岩でなされた増築によって、古典主義建築に現代建築を組み合わせた建築となった。 本市最古の旅館で「マックス」と呼ばれる建物は、1744年に初めて「宿屋」としてゼーリゲンシュタット修道院の目録に記録されている。この文書には、この建物がアルツェナウの主人に売却されたと記されている。このツタに覆われた建物を1995年に購入した現在の所有者は、小さなブルワリーを併設したホテルに改装し、1516年のビール純粋令に従ったビールを生産している。 歴史的な木立の公園内にあるメスマー邸には現在レストランが入居している。 ソーラー学習路は、内市街 (3.5 km) と外市街 (総距離 12 km) に 20 の例を示して光発電の応用例を紹介している。このソーラー学習路では、アルツェナウでソーラーモジュールを製造しているショット・ソーラー(旧ASE)とアルツェナウ市の共同プロジェクトについても紹介されている。 現在のマクシミリアン=コルベ=ハウスの近くに、この街に何世紀もの間存在したユダヤ人コミュニティのシナゴーグがあった。ここには、シナゴーグ破壊と、絶滅収容所に送致されたユダヤ系住民に対する記念碑が建てられている。
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