開発の立ち上げ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 05:41 UTC 版)
インドの宇宙開発は1960年代に始まった。1961年、インド政府は原子力省(英語版)に宇宙開発を担当させることとし、1962年2月にはインド国立宇宙研究委員会(英語版)(INCOSPAR)が設立された。1962年から63年にかけて、インドの科学者団が観測ロケットの組み立てと打ち上げについて学ぶためにNASAに滞在した。最初のロケットとなったアメリカのナイキ・アパッチ は1963年にケーララ州のトゥンバ(英語版)から打ち上げられた。1964年インドはフランス国立宇宙研究センター(CNES)と契約を結び、サントールとベリエを製造するためのライセンスを取得した。 1960年代、まだ宇宙開発初期のインドでは幾つかの宇宙センターが設置された。宇宙科学技術センターがトゥンバに、実験衛星通信地球センターがアーメダバードに設置され、1969年には宇宙開発全般を担当すべくインド宇宙研究機関(ISRO)が原子力省の下に設立された。アーンドラ・プラデーシュ州のシュリーハリコータでは発射場が建設されることとなり、アメリカが建設に協力することを拒否したためフランスの技術支援を受けて建設が進み、1970年に完成した。現在は改名されてサティシュ・ダワン宇宙センターとなっている。1971年10月9日に観測ロケットRH-125の打上げで稼動を開始した。これを見届けるように1971年12月30日に、インド宇宙開発の父と呼ばれたヴィクラム・サラバイ(英語版)は死去した。
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