開局から2000年代まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:04 UTC 版)
「千葉テレビ放送」の記事における「開局から2000年代まで」の解説
開局からやや経過した頃、昼(『午後のテレポート』)やゴールデンタイムの生ワイドを放送するなど自主制作に意欲的であったが、当時県北西部では広域局のVHF波が東京から届く関係で当放送局を視聴するためにはUHFアンテナを新たに設置しなければならず、実際に視聴できる世帯は広域局のそれより少なかった。県域の放送広告市場自体も未発達であり、わずか数年で経営危機が訪れる。 そのため、関東広域圏の独立放送局では唯一1990年代前半頃までは日中に(事実上の)中断時間が存在し、その時間帯はフィラー音楽番組を放送していた時期があった。一時期は単にカラーバーをバックにBGMを流していたスタイル、1970年代-1980年代中期までは『お茶の間BGM』(県花・菜の花や成田空港やマザー牧場の牛や犬吠埼等の風景静止画(10分ごとに更新)やアルバムのジャケットや高校野球雨天中止時は雨が降っている球場を固定カメラで中継等の画像に曲目リストのテロップにBGMというスタイルの音楽番組。実質はフィラーであるが、新聞番組表にも掲載されていた正式な編成番組)、のちに音楽ビデオクリップ番組『サウンドホップ』『—ステップ』『—ジャンプ』へ変更された(群馬テレビは開局当初は主として夕方から夜間のみの放送。テレビ神奈川、テレビ埼玉は午前中からの準全日放送だった。なお、テレビ埼玉には『お茶の間BGM』と同様のスタイルを持った『ピットインミュージック』という番組があった)。1990年代前半頃以降は番組ソフトの充実化が進められ、1990年代中盤頃にはその役目を終えたとしてフィラー音楽番組は終了となった。 1983年(昭和58年)から2002年(平成14年)までは千葉県の施策に基づき『なのはな体操』を放映していた。 かつて県内の一部の公立高等学校ならびに私立の成田高等学校(当時は成田市唯一の高校)の合格発表当日に、合格者の氏名を長丁場放送していた(現在は個人情報保護の面から行われていない)。その際に番組スポンサーとして、高校制服の取扱店である千葉三越・千葉そごうなどの千葉県内のそごう各店・扇屋ジャスコ(現・イオン)などがスポンサーとなっていた。CMの内容としては高校合格に対しての餞の弁やそれぞれの高校の制服の宣伝が主だった。 1990年代中盤位まで土曜日の22時からは県内のあらゆる所から中継する、通行人をつかまえ回答者にする県内各所を題材にしたクイズ番組『おじゃまします街かどクイズ』を轟二郎ならびに矢野明仁の司会で放送していた。この番組は2007年(平成19年)の元日に一度だけ復活放送した。そして、2007年(平成19年)6月15日からは『おじゃまします市町村街かどクイズ』としてレギュラー放送が復活し、2021年(令和3年)3月まで放送された。司会は轟二郎(2013年3月以降は矢野明仁)と小川麻希。
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