銅矛
主名称: | 銅矛 |
指定番号: | 415 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1986.06.06(昭和61.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 佐賀県三養基郡北茂安町検見谷遺跡出土 |
員数: | 12口 |
時代区分: | 弥生 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 筑後川下流域に形成された佐賀平野には、三津永田遺跡、二塚山遺跡、安永田遺跡など弥生時代青銅器が出土する多くの遺跡が知られ、福岡・糸島・唐津など玄海灘沿岸の金属器文化と対峙できるような発達をみている。 検見谷遺跡はこうした佐賀平野の東部、背振山南麓に形成された洪積台地の西斜面に位置している。本遺品の一括は、昭和六十年二月、造成工事に伴って発見されたものである。その後の発掘調査によって、一〇口は南北一・五メートル、東西一・二メートルの方形埋納壙内に刃部を立て、耳を上に向けて鋒と袋部を交互に差し違え整然とした状態で並べられ、他の二口は少し離れた位置に鋒を揃えて埋納されていたことが明らかになっている。 一二口の銅矛は、全体の形態をはじめ厚さ、耳、節帯の位置などに相違はあるが、全て中広形銅矛に属し、弥生時代後期の所産になるものと思われる。特に一〇口の身部には、鎬に対し約七〇度前後の方向で、幅二センチの間隔をもって綾杉状の研ぎ分けを施し装飾している。同様の手法は三田川町目達原【めたばる】、甘木市下渕、安心院【あじむ】町谷迫【たにさこ】など五遺跡に一〇口が知られるのみの、稀有なものである。こうした銅矛は、昨年発見された島根県荒神谷遺跡のそれを除けば、全て筑後川流域を中心とした地域に分布する特色をもつが、検見谷遺跡は一遺跡としてその数量も多く、そのまとまりには注目される。また広川町天神浦出土の一八口など、多数埋納例もあるが、本例も一括埋納の実態を見る上で貴重である。 全体に保存状態も良く、弥生時代の青銅器文化を究明する上に欠くことのできない遺品である。 |
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