島根県荒神谷遺跡出土品とは? わかりやすく解説

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島根県荒神谷遺跡出土品 (東京都)

名称
島根県荒神谷遺跡出土品
区分
国宝
所有者
国(文化庁保管

資料一覧
解説
昭和59・60年の発掘調査によって発見され青銅器一括銅剣6口が二つの埋納坑から発見され銅剣は本遺跡日本出土銅剣総数上回る青銅器の埋納状態が発掘調査判明した例としても貴重であり,弥生時代青銅製品一括として抜群学術資料である。

島根県荒神谷遺跡出土品

主名称: 島根県荒神谷遺跡出土品
指定番号 38
枝番 00
指定年月日 1985.06.06(昭和60.06.06)
国宝重文区分 国宝
部門種別 考古資料
ト書
員数 一括
時代区分 弥生
年代
検索年代
解説文: 本件は、島根県簸川郡斐川町神庭【かんば】に所在する荒神谷遺跡から出土した青銅器一括である。
 荒神谷遺跡は、仏経山【ぶつきようさん】(標高三六メートル)の北麓から派生する小さな尾根南東斜面標高二〇二二メートル)に位置する昭和五十九年に農道建設事前調査によって銅剣埋納土坑が、さらにその直後、この土坑西側近接した地点から新たに銅矛銅鐸埋納土坑発見され昭和六十年に発掘調査実施された。
 銅剣三五八口西側から三四口、一一一口一二〇口、九三口の四列に分け整然と刃を立てた状態で並べられていた。これらはすべて中細形に分類される同一型式で、かつ全長五一センチメートル前後であり、発掘後の精査結果鋳造後の刃の研き出し行っていないものがあったり、同じ鋳型鋳造された「同笵【どうはん】」銅剣多数組合せ発見されたことから、弥生時代中期末から後期初頭短期間の間に集中的に鋳造されたものと推定される
 銅矛一六口は斜面に平行方向に刃を立てた状態で、かつそれぞれの切先【きつさき】と基部交互にして埋置されていた。この一六口のうち二口中細形、残り一四口が中広形に分類されこのうち四口には「研ぎ分け」が認められ、光の乱反射利用して綾杉文様浮かび上がる。この「研ぎ分け」は鋳造通常の研磨終えたのち、さらに角度変えた研ぎを施す手法であり、佐賀県検見谷【けみだに】・吉野ヶ里【よしのがり】遺跡等で発見され銅矛にもみられる技法である。
 銅鐸銅矛西側接し三口ずつが鈕を向かい合わせるように二列にして、かつ【ひれ】を立てた状態で埋置されていた。六口の銅鐸すべてが全長二二センチメートル前後であるが、うち一口最古段階環鈕式【りようかんゆうしき】)で表面横帯文で飾り残り五口が古段階外縁付鈕【がいえんつきちゆう】一式)で四区袈裟襷文けさだすきもん銅鐸分類される
 この荒神谷遺跡発見によって、出土銅剣総数一挙に倍増したことが発見当時大きな話題となったが、出雲地方集中的に分布する形態をもつ銅剣と、畿内中心とする地域祭器である銅鐸さらには北部九州中心とする地域祭器である銅矛が一か所で、かつ発掘調査によって出土した学術的価値きわめて高い。


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