島根大学旧奥谷宿舎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 島根大学旧奥谷宿舎の意味・解説 

島根大学旧奥谷宿舎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/02 00:10 UTC 版)

正面
地図

島根大学旧奥谷宿舎(しまねだいがくきゅうおくだにしゅくしゃ)は、島根県松江市奥谷町にある旧制松江高等学校外国人宿舎として建てられた大正時代の洋館。登録有形文化財に登録されている。

概要

旧制松江高等学校の外国人教師向けに築造された。当初、同一企画の1号官舎(独語教師居住用)と2号官舎(英語教師居住用)の2棟が並んで建っていたが、2号官舎は1937年3月28日、火事で全焼した。

大正時代に東京・大阪郊外や軽井沢などで流行した急勾配の三角屋根をもつ木造2階建て建築。2階の張り出し部分を玄関ポーチの柱で支える。外壁は、1階が木製の横板張り、2階がモルタル投げ付け塗り仕上げ。2連及び3連の連続窓を四周に付ける。アールデコ調の彫刻が施された階段手すりや1階北東側部屋内にある天井の漆喰で作られた中心飾りが、今も建造当時の状況を残している。

第二次世界大戦前は、「著作権の父」として有名なウィルヘルム・プラーゲ博士、第二の小泉八雲として慕われ、永井隆らに影響を与えたフリッツ・カルシュ博士、ドイツ東洋文化研究協会会長を務め、勲三等旭日中綬章を受賞したハンス・シュワルベ博士らが暮らしていた。第二次世界大戦後、島根大学に引き継がれてからは、島根県の英語教育に尽力したドイツ系アメリカ人のバーソルド・アロンスタイン博士らが暮らした。

その後、宿泊施設や大学教職員宿舎として利用されていたが、2009年10月に建造当初の状況に修復され、現在は島根大学総合博物館分館として、展示や催しもの、観光施設に活用されている。地元の子供たちの間では、松江の「トトロの家」として親しまれている。

  • 開館日・時間 - 原則として毎週土・日曜日、国民の祝日・振替休日 10時 - 17時。
  • 休館日 - 原則として祝日・振替休日を除いた月曜日 - 金曜日。年末年始。

建築概要

別角度から
  • 建物面積 - 141.5m2
  • 建造物
    • 木造2階建。
    • 1階外壁が木製の横板張り、2階外壁がモルタル投げ付け塗り仕上げ。
  • 建築年代 - 1924(大正13)年11月
  • 所在地 - 〒690-0872 松江市奥谷町140
  • 備考 - 国の登録有形文化財(平成19年5月登録)

沿革

交通アクセス

  • 山陰本線松江駅より市営バス「大学・川津方面行き」で「北堀町」下車(約15分)、徒歩約5分

周辺

関連項目

外部リンク

座標: 北緯35度28分51.64秒 東経133度3分13.56秒 / 北緯35.4810111度 東経133.0537667度 / 35.4810111; 133.0537667



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「島根大学旧奥谷宿舎」の関連用語

島根大学旧奥谷宿舎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



島根大学旧奥谷宿舎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの島根大学旧奥谷宿舎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS