旧横浜ゴム平塚製造所記念館
名称: | 旧横浜ゴム平塚製造所記念館 |
ふりがな: | きゅうよこはまごむひらつかせいぞうしょきねんかん |
登録番号: | 14 - 0086 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
構造: | 木造平屋建、鉄板葺、建築面積234㎡ |
時代区分: | 明治 |
年代: | 明治39頃 |
代表都道府県: | 神奈川県 |
所在地: | 神奈川県平塚市浅間町1-1 |
登録基準: | 造形の規範となっているもの |
備考(調査): | 大正8年海軍が買収し,海軍火薬廠になる。『神奈川県近代洋風建築調査報告書』(神奈川県教育委員会 1988年) |
施工者: | |
解説文: | 日英合弁の日本爆発物製造株式会社の支配人室として建設。木造平屋建で,ヴェランダやベイウィンドーなどが特徴。屋根は鉄板葺で,南東に塔屋を頂き,外壁はドイツ下見板張とする。創建当初の姿を良く残し,小規模ながら明治期の木造洋風建築の佳品と言える。 |
建築物: | 旧東北砕石工場 旧東洋紡績株式会社富田工場原綿倉庫 旧東洋製糖北大東出張所 旧横浜ゴム平塚製造所記念館 旧正野薬店包装場 旧正野薬店店舗 旧正野薬店東蔵 |
旧横浜ゴム平塚製造所記念館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/14 06:49 UTC 版)
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旧横浜ゴム平塚製造所記念館 | |
---|---|
情報 | |
管理運営 | 平塚市役所 |
階数 | 1階 |
所在地 |
〒254-0041![]() |
座標 | 北緯35度20分1.62秒 東経139度20分51.85秒 / 北緯35.3337833度 東経139.3477361度座標: 北緯35度20分1.62秒 東経139度20分51.85秒 / 北緯35.3337833度 東経139.3477361度 |
文化財 | 国の登録有形文化財 |
指定・登録等日 | 2004年(平成16年)7月23日登録[1] |
旧横浜ゴム平塚製造所記念館(きゅうよこはまゴムひらつかせいぞうしょきねんかん)とは、神奈川県平塚市浅間町1-1-1の八幡山公園(平塚八幡宮横)にある国の登録有形文化財に登録された西洋館である。愛称は「八幡山の洋館」(はちまんやまのようかん)。
概要
もともと平塚市追分の横浜ゴム平塚製造所内の敷地に存在していたこの建物は、1912年(明治45年/大正元年)頃に無煙火薬を製造していた「日本火薬製造」(資料によっては『日本爆発物製造』とも)によって建造された。当時の最新建築デザインであったアーチ型の窓や塔屋が特徴である。その後1919年(大正8年)に日本火薬製造が海軍によって買収され「海軍火薬廠」となってからは主に将校クラブ(横須賀水交社)の応接室や娯楽室などとして利用された。
平塚空襲の際は焼失を免れたが、終戦後に火薬廠は進駐軍によって接収された。1950年(昭和25年)に接収解除されると旧火薬廠の土地・建物は横浜ゴムに払い下げられ、同社平塚製造所の会議室や応接室として利用されていた。1955年(昭和30年)の神奈川国体時においては昭和天皇の御休憩所としても利用された。
しかし老朽化や耐震性等の問題もあって2001年(平成13年)に横浜ゴムは平塚市に対し「建物を取り壊したい」と申し入れたが、建物を保存したい市側の意向もあり2004年(平成16年)4月に横浜ゴムから市に無償贈与を受けた。同年7月23日に国の登録有形文化財に登録された。その後丸3年をかけて解体・移築工事が行われ、2009年(平成21年)3月に八幡山公園への移設を完了、翌4月より一般公開された。夜間にはライトアップも行なわれる。入場は無料だが、会議室の利用は有料で事前予約が必要となっている。
移築復原後の建物
記念館:木造軸組平家建て195.11平方メートルと管理棟:重量鉄骨造平家建て120.11平方メートルに建築された。
- 設計・監理:平塚市都市整備部建築課(現:まちづくり事業部建築住宅課)
- 移築復原工事・管理棟工事施工(建築):西山建設株式会社 (本社:神奈川県平塚市代官町)
アクセス
平塚駅から徒歩15分、また神奈川中央交通「市役所前」バス停下車すぐ
脚注
- ^ “旧横浜ゴム平塚製造所記念館”. 国指定文化財データベース. 2022年8月14日閲覧。
外部リンク
固有名詞の分類
西洋館 |
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