島根県加茂岩倉遺跡出土銅鐸とは? わかりやすく解説

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島根県加茂岩倉遺跡出土銅鐸

主名称: 島根県加茂岩倉遺跡出土銅鐸
指定番号 43
枝番 00
指定年月日 2008.07.10(平成20.07.10)
国宝重文区分 国宝
部門種別 考古資料
ト書
員数 39
時代区分 弥生
年代
検索年代
解説文: 本件は、島根県大原郡加茂町大字岩倉字南ヶ廻に所在する加茂岩倉遺跡から出土した銅鐸一括である。
 遺跡狭長な谷の最奥部位置し標高一三メートル谷底からの比高一八メートルの南斜面立地する平成八年ふるさと農道整備事業工事中に偶然発見され直ち発掘調査実施され結果銅鐸埋納坑【まいのうこう】は一部除いてすでに失われいたものの、およそ二×一メートル程度規模であることが推定された。
 二〇口の銅鐸総高四五センチメートル前後中型と、残り一九口が三〇センチメートル前後小型のもので、中型銅鐸の鐸身【たくしん】内に小型銅鐸納めるいわゆる入れ子」状になっていたもの推定される
 銅鐸三〇口が袈裟襷文けさだすきもん】、九口が流水文【りゆうすいもん】で飾られる型式的には、外縁付鈕【がいえんつきちゆう】1式が一九口、外縁付鈕2式が一一口、扁平鈕【へんペいちゆう】2式が九口となり、扁平鈕1式に分類される銅鐸存在しない
 三九口の銅鐸のうち、七口銅鐸表面には絵画認められるなかでも扁平鈕2式である一〇号・一八号・二三号・二九号・三五号鐸の五口に描かれ絵画は、現在まで近畿その周辺鋳造されたと考えられる銅鐸には見られない図様であり、これまで生産地として考えられてきた地域以外で鋳造され可能性示唆している。
 また、同じ鋳型鋳造された「同笵銅鐸どうはんどうたく】」は一三確認されているとともにこのうち六組はこの本件銅鐸群内での同笵関係も認められており、他に例をみない。
 さらに一四口の銅鐸の鈕【ちゆう】の環部【りようかんぶ】には、島根県荒神谷【こうじんだに】遺跡出土品国宝)のうち、銅剣多く認められた「×」印が確認され、同遺跡との関連注目される
 銅鐸複数埋納例としては、滋賀県野洲町小篠原大岩山【こしのはらおおいわやま】で二土坑【どこう】二四口、兵庫県神戸市桜ヶ丘一四口が一括埋納された例として知られているが、それらをはるかに凌駕する
 環鈕式【りようかんゆうしき】から外縁付鈕式【がいえんつきちゆうしき銅鐸に、中細形銅剣【どうけん】、中細形・中広形銅矛の組み合わせをもつ荒神谷遺跡外縁付鈕式から扁平鈕式の銅鐸のみで構成される加茂岩倉遺跡、「景初三年」銘をもつ三角縁神獣鏡さんかくちしんじゆうきよう】が出土した神原かんばら神社古墳近接して存在する当地は、古代出雲における重要な位置占めてたばかりではなく北部九州近畿の間に位置するこの出雲地域状況など、弥生時代における社会情勢考察するうえで、この加茂岩倉出土銅鐸存在不可欠であり、きわめて学術的価値が高い。



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